「他人(初期化する場合)」

京大の学生劇団、ケッペキの「他人(初期化する場合)」を観に行って来た。

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パンフが眼鏡ケースになってて感動(なんでかは、戯曲読まないと分からないんだけど、読んでも分からないかも)。

上演が始まった瞬間、自分の自意識の塊のセリフに体温が急上昇して汗がダラダラ出て来た。
若書きってこういう事かと思った。

だけど時間がすすむに連れて、一生懸命このぐっちゃぐちゃの戯曲に向き合ってくれた演出と俳優とスタッフの皆さんを思って感動した。ていうか、上演してくれるだけでも嬉しいのに、子供でもおかしくないほどの若い人たちが、(きっと)若さと時間と人を使ってけっこうな小道具や美術や衣装を作ってくれてて、そのせいか私が演出したよりだいぶ分かりやすくなってて、それってほんとに、私にとっては奇跡だった。

上演した当時、お客さんは????だったし、
人気も全然なかったしね。
戯曲賞取った時にとある演劇関係者の人にびっくりした顔で「京都のどこで演劇したはるんですか」と聞いてこられたぐらい話題にならなかったし。

それが2015年の時点で若者である彼らに目にとめてもらって、上演してもらった事が、嬉しい。

それにしても、あのときの私にとっては、これが至上命題だったんよな、と思い出した。あのときほんとに、私の脳みそはあの戯曲ぐらい大混乱やったんや。

傷つけるという方法でしか人を愛せないという事、
傷つけられないと愛されている事を実感できない事。

私の帰る所はここじゃないという気持ちとか、
誰かの肌のぬくもりばかり追い求めていた事とか。

恥ずかしいが。

それを「間違い」とか「病気」とか「犯罪」とかカテゴライズする前に、
私は戯曲にしたかったんやな。

10年ぶりぐらいに自分の戯曲に立ち返る事ができたのもありがたく、良い機会だった。

で、若い頃から今に至るまで、私のテーマが一貫している事も発見した。

次に進む為の良いカンフル剤になりました。
本当にありがとう。

超個人的には、桃レンジャーの人形やってた子の右手がツボでした。面白くて過呼吸になるかと思った。

帰りに、「他人〜」の初演も再演も出てくれてた岩田由紀ちゃんの娘ちゃんに会いに行く。由紀ちゃんも一緒に観てたんやけど、私らのときより分かりやすかったなあ、と笑顔でした。

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可愛かったー。おおきなってた。子供ってあっという間やなほんまに。
わたしは、台本を、書くぞ。