サファリ・P『怪人二十面相』創作・思考プロセス#2

朴 建雄

○四月の試行錯誤①:美術、音響、台本、動き

  サファリ・Pの創作現場では、演出の山口さんの直感を具体化するため、出演者やスタッフからも積極的にアイデアを出して試行錯誤する。稽古が始まって間もない四月のある日の稽古では、読むためのテクストも動くためのアイデアもまだほとんどない状態だったので、意見交換が主に行われた。日置さんから、美術・衣装等の進捗について共有する時間を作りたいとの提案があり、まずその話になった。美術は檻にしようかと思っていたが、変更。床を上げて、そこに人間や照明や音響を仕込めるようにする。また、音楽については、増田さんにすでに作ってもらった「見世物小屋」のイメージの曲をオープニングに使う。また、音楽を使い、床下を覗いて話を聞いていた人が、その話で話されていた人になってしまったように感じる効果は作れないかという案も出た。

 また、現段階の舞台美術案では、後ろにテントがある。とすると後ろの壁は使えなくなるが、後ろの壁が使えるか使えないかで、出演者の動き方はかなり変わってしまう。床を上げるとその分天井が低くなるが、それに伴って音や動きがどう変わるのかという問題もある。床については、覗き穴が中心に一つ、もしくは床一面に覗き穴のどちらかだろうという話になった。覗き穴に蓋をつけるかは迷い中。いずれにせよ、床の下にもう一つの世界があるということを、観客に想像させたい。実際に下で喋って、客席の後ろ側から音を出してみるなど。下で喋っていることが上で実際に行われることの面白さも狙っていきたい。また、舞台を全面階段にするとどうかという意見も出た。

  音響について。色々なところから流せるようにして、生音からスピーカーの音を混じらせていくのはどうかという提案。山口さんによると、乱歩の小説は、室内と室外で違う音が鳴っているという描写が多い。つまり、音で時間の経過や緊張感を表現している。衣装の話も出た。みんな自分の人生を歩んでるけど、どこかのポイントで二十面相になる、という感じを出したいので、服のデザインもずれてるけど共有してるポイントがある、というのがいいのではないか。抽象的な縦の縞々の服(浴衣)はいいかもしれない。

上演台本についての話。本質的な要素は小説『怪人二十面相』と同じだが、ストーリーラインは別に追わなくてもいいと考えている。言っていることとやっていることのズレ、言葉と見えるものの差の面白さを扱いたい。下からくぐもった声が聞こえる、というイメージがあるが、これは誰かがぱっと話して世界が壊れるのを避けたいからだ。ここで、エンタメ感はどれくらい入れるのか、という話になる。サファリの二十面相では、エンタメ感=ページをめくる手が止まらない、乱歩を読むときの感覚と考えたい。床下の話を聞いて、どうしてそうなった?と思ってもらい、もっともっと知りたくなる状況を作っていく。お客さんの気がゆるむコミカル感もあっていいし、パフォーマーの動きの凄さはわかりやすくエンタメ感が出るはず。

あらためて上演台本の内容について。『怪人二十面相』には、勘違いを利用して罠が二重に仕掛けられているという感じ、つまりわざと推理させる、でもそれが間違っているというミスリードの流れがある。ここの面白さを扱いたいが大きな問題が一つ。それは子ども向けに書かれている言葉が退屈だということ。そのため、色っぽく魅力的な言葉を短編小説から抜き出し、二十面相のストーリーラインを、他の小説の言葉を使って作ろうと考えている。乱歩の語りのうまさはどこから生まれているのか?例えば『D坂の殺人事件』では、トリックというより、人の隠したいところを出してくる。作者乱歩の背景や、二十面相の素性よりはトリックに着目したほうがいいかもしれない。例えば、音でトリックを作るとしたらどうなるか。台詞は下から聞こえているが、他の場所から本人が出てくるのはどうか。佐々木さんがそれをやるのはいい。声、存在感で際立つので。観客一人一ヘッドホンはどうか。つけ外しのアトラクション感は不要。実験的にしたいわけではない。作品全体のまとめ方としては、そんなに大きくなくていいので最終的にもう一個どんでん返したい。地下室と屋根裏部屋の構造で、上演時間1時間で作りたい。

ここまで頭で考え続けて煮詰まったので、身体を動かしてみることにする。現段階で少しだけあるテクストを、1音ごとに区切って、割り台詞で読んだ。そうするとどうしても意味、台詞に聞こえてしまう。ではそうならないようにと音階をバラしてみると、地点(という劇団)っぽくなってしまう。台詞を切って言うだけでは面白くならない。いまの狙いは、みんなで一人の人がしゃべっているようにすることで、言葉から意味を剥がすことではない。高杉さんから、バラバラな音が、「この物語は二十の顔をもつ不思議な盗賊の話」という最後のフレーズにつながっていくのはどうかという提案があり、試してみる。あまりうまくいかない。台詞を意味のかたまりごとにわけて、間に音を挟んでみる。これもあまりうまくいかない。変に感情を込めることなくおもしろく台詞を言うというのは本当に難しい。

  ダンスを作ってみる。床に穴があると想定して、穴に向かってどう踊るか、一人ふたつネタをつくることにした。できたらまずはそれぞれの動きを共有。穴から光が漏れている感じを出すため、稽古場を暗くしてスマホの明かりをつけてみる。ここでは踊るというより、下から出ている光と戯れている感じがほしいとのこと。地面に平行に、腕の力だけでスライドして回転する動きができた。かなりおもしろいが、考案者の達矢さんによると、地面でスライドするのは衣装と床にかなり影響されるらしい。摩擦が大きいとスライドする動きが大変なようだ。この日の稽古はこれで終わりになった。

 

○四月の試行錯誤②:舞台への出入りと佇まい

  四月のまた別の日。ひとまず以前できたダンスをベースに、広げてみる。面白い脱線があるかもしれない。早い動きがもっとあっていいとの意見があり、緩急をもっとつけてみる。人の穴に移動してもいい、人のいない穴があってもいいと制約を緩くして動きの可能性を探っていく。ギリギリまで同じ動きのように見えて違った!という瞬間はおもしろいという発見があった。動き疲れた出演者たちは少し脱線。今回出演者は靴を履くのだろうか?裸足だと、コンテンポラリーダンスっぽくない?という謎のツッコミが多い。一方、演出家はひたすらテクストを書いている。乱歩の短編集から、気になる言葉をとにかく抜き出してエクセル(二十面相の要素が縦軸、短編の題名が横軸)に入れ、共通する要素を探っている。演出家も出演者も、とにかくなにか土台を作るために必死だ。

 短編から少しもってきたテクストを使ってみる。下でしゃべったことが上で実現されることの面白さをはっきり出したいが、抜粋してきた「遠藤が死んだ」という話と二十面相の説明の描写を接続するのは難しい。また、床下に横たわって声を出すと、横たわってる人の声だとすぐわかってしまう。どうにかならないかと筒や布を口に当てて台詞を言ってみると、確かに響き方が変わる。下に横たわってマスクするのがいいかもしれない。さて、床下にどう行くのか。もぐったなとは思われたくないが、どんどん床下を活用したい。ここで問題になったのが、誰かがいなくなったことに対する反応に、演技の余地ができてしまうこと。いかにもな死体の第一発見者は演じてほしくない。日置さんはどこにいても身体がニュートラルで演技っぽくないが、そういう佇まいがいいとのこと。

 舞台上への出入りの方法、舞台上でどういう佇まいでいるのかを決めたい。そこが決まれば楽になる。出演者になにか役をやってもらうのは違う。というのも、全員が二十面相なので、個々人に役をふれないから。演じてるのでなくたまたまやってるだけ、という感じがほしくて、舞台を通じてこの人はこの役というようにはしたくない。芦谷さんから意見が出る。こういうトリックなんで!という説明を小説がしてくる感じみたいに、こういう役なんで!という説明を演劇がする感じにはできないだろうか。もちろん、ヒゲをつけたりして「こうですよ!」と見せる方法はありきたりなのでやりたくないが……。舞台への出入りについて、暗転以外でリセットする方法はなにがあるだろうか?次のシーンが始まる立ち位置=前のシーンの終わりの立ち位置という流れは『悪童日記』でよくやった。また、両脇に椅子を置いて、舞台袖を作らない演出は昔すごく流行った。しかしそういう方法でなく、立ち方や身体の緊張・弛緩で、キャラの変化を示せないかだろうか。会話劇を作るんじゃなくて、絵として見せるという形で作りたい。

  上記の通り、四月は完全に試行錯誤の段階だった。結果的には採用されないアイデアも数多いが、ここで妥協せず納得いくものを追求することで、作品の完成度は増していく。テクストと美術がより具体化した五月の稽古については、また次回に書くこととする。