『悪童日記』の躍動日記③

 『悪童日記』ツアー2018が終わりました。
 八尾に始まり、横浜を経て、最後は地元・京都に錦を飾る、足掛け三週間の長い旅でした。大きな事故や怪我もなく、無事に終えることができたことに感謝です。そしてお世話になった劇場の方々、お越しいただいたお客さん、ご協力いただいたたくさんの方々、いつも我々の要望に全力で応えてくれるスタッフの皆さん、そしてご来場は叶わなかったものの気に掛けて応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。


撮影:松本成弘 @京都府立文化芸術会館

 思えば私(高杉)は12月も1日から24日まで『財産没収』のツアーに出ていたのであって、ひと冬で三都市ツアー(『財産没収』は試演会を入れたら四都市!)を二本回すという荒技に出た。なぜこんな荒技を敢行したかというと、「再演だしイケるか!?」という軽いノリだったような気もするし、「これくらいの強度で進んでいくのだよ!」というある種の覚悟であったような気もするのだけれど、結局のところは何も思い出せない。始まってみれば、当然制作も創作も二本同時並行なので、相当バタバタした。大きな犬と一緒に白浜あたりに身を隠したいと思ったことも一度や二度ではない。
 サファリ・Pは稽古をたくさんすることでこの界隈ではちょっと有名なのだけれど、それは「再演」であっても変わりなく、『財産没収』も『悪童日記』も弾むように稽古した。稽古初日に初演の芝居を立ち上げてみるのだけれど、それは問題点・改善点を洗い出すためであって、初演を踏襲する気などサラサラない。お芝居っていうのはよく干したスルメみたいなもので、噛めば噛むほど味が出る。『財産没収』再演で何に取り組んだかはそっちの記事を読んでいただくとして、ここでは『悪童日記』に話を絞る。


撮影:松本成弘 @京都府立文化芸術会館

 まず問題は「プロセニアム」であること。
 これは本当に難題で、最後まで我々を苦しめ続けた。翻って、それはやり甲斐ということになるのだけれど、今は終わったからそんな悠長なことを言っていられるのであって、当時の私はずっとすい臓の裏辺りがヒリヒリしていた。
 今作に限って言えば、プロセニアムの問題は「サイズが大きい」ことではなく、「客席が舞台を見上げる」ことだった。もちろん大きいことも簡単ではなく、60席が420席になるのだから、そのサイズ感の演技・動きに変えていき、観客の遠さも意識して作り直さなければならない。しかしそれは「アジャスト」というレベルの修正なんだと思う。しかし「観客が舞台を見上げる」構造は如何ともし難い。初演の会場は「アトリエ劇研」「こまばアゴラ劇場」「シアターねこ」。いずれも客席はひな壇を組んで舞台を見下ろすスタイル。我々はそれを意識して舞台美術の平台ワークを考えた。十字架になったり、チクタクバンバンをしたり、道になったり、台の下に人が隠れると見えなかったり。平台の組み合わせや動きが上から見て楽しめる構造を作り上げたのだ。しかし、お客さんが舞台を見上げるとなると、初演で創ったビジュアルイメージがことごとく無力化されてしまう。これは本当に困った。もちろん舞台美術を0から考え直し、全ての段取りをつけ直す時間などない。それは新作一本創る労力が必要で、再演ツアーの時間配分では絶対に対応できない。是が非でも初演をアレンジすることで乗り切らねばならない。脾臓の裏の辺りがカサカサする。
 色々試してみて実践したのが、「台を立てる」「台の下の人を見せる」「台の天板の組み合わせの形を見せることがこの芝居の面白さの本質ではない、と自分達に強く言い聞かせる」、この3点だ。どれも非常に強力な作り直しの根拠になった。中でも三番目は冗談っぽく書いたのだけれど、意外とこれが一番効果があった。身体性や発話で世界を象っていくこと、物質や次元ということも含んだ「存在」への哲学的問いかけ、躍動感、スピード感、静止と静寂などがこの作品の面白さの本質であって、平台の組み合わさった形はその補助にすぎない。なので、芝居のダイナミズムをしっかり生の迫力で提示できれば、天板が見えないことなど恐るるに足らず、と考えたわけだ。とはいえ、蓋を開けてみるまでは不安でいっぱいだったのだけれど、2月10日、八尾プリズムホールのカーテンコール、万雷の拍手でお客さんに迎えられた時、「我々のやってきたことに間違いはなかった」と確信できた。

撮影:中筋捺喜 @八尾プリズム小ホール

 フィジカルが物を言う芝居なので、43歳の身体には幾分応えた。「大きな怪我もなく」と冒頭に書いたけれど、逆に言えば小さな怪我はたくさんあったわけで、佐々木ヤス子さんはギックリ腰と闘っていたし、私はふくらはぎがずっと肉離れを起こしていた。そしてこのワークをこなすには筋力もいるし、スタミナもいる。それらがないなら身につける(取り戻す)しかないのであって、できることしかやらなくなったら、そこで作品も表現者としても終わる。中筋さんの執筆してくれた稽古日誌にも出てきたけど、みんなでトレーニングに打ち込んだ。こんなの20代以来だ。
 プランク2分 → 腕上げジャンプ10分 → ゴキブリ体操3分 → 逆立ち1分 → 背筋キープ2分 → プランク2分。これを1分のインターバルで回し、最後は平台を積み重ねたオブジェを飛んで潜ってのアスレチック5周。トレーニング後は、パンパンに張ったダル重い筋肉、滴る汗、切れる息、そんな悦びを感じながら各自持参したプロテインをガブ飲みする。
 演出が悩み始めたり、休憩時間やちょっとした空き時間ができたら、みんな壁のないところで逆立ちを始める。腕立てをする。ローラーで腹筋を鍛える。高タンパクな食物を紹介し合う。「アーティスティックな作品ですね!」なんて形容されるが、内実は超変態筋肉劇団なのだ。一方で、その変態性にこの作品が支えられていることに疑いの余地はない。とにかくなんであれ「歳のせい」にはしたくない。筋肉は裏切らない。「50歳になってもこの作品やってたいな…」トラックでリノリウムを運びながら、独り言(ご)ちるように呟いた。助手席に座る達矢くんは微笑みながら頷いた。

文:高杉征司


撮影:松本成弘 @京都府立文化芸術会館