高杉と往く「財産没収」2018 稽古の旅③

 いよいよ「財産没収」2018のツアーが始まった。

 松山から始まるのだけど、実はその前に12月1,2日と京都で試演会をして、途中経過をお客さんに観てもらった。「work in progress」といって、完成前に観てもらうことで完成度を高める効果がある。曲がりなりにもお客さんに観せるのだから、そこに帳尻を合わせて創作することになる。人間はどうにもリミットに帳尻を合わせるようにできていて、それは自覚的に「ま、いっか」と先延ばしするでもなく、無自覚にそうしているからタチが悪い。なので、試演会を設定してリミットを早めると、その分前倒しで形になっていく。一度形になったものは全体像が見えやすく、自分たちの創ったものが何なのか? 創ろうと思ったものとどの程度隔たりがあるのか? 意図しない果実があるのか否か、など判断がつきやすく、修正も入れやすい。
 それに加えて「観客の目」というのが非常に重要になってくる。稽古場の中では作品は完成しない。人目に晒して初めて作品となる。それは「作品を作品と認知する『観察者の目』がないと、作品は作品として存在できない」という物理学的・哲学的問いでもあり、しかし我々がもっと大切にしているのは「観客の目が自分たちの創ったものに輪郭を与える」という点だ。不思議なもので、我々は長い時間をかけて思考を巡らせ、言葉を尽くして創作に取り組むのだが、つまり自分たちが一番この作品に詳しいはずなのだが、観客の前で披露してみて「あ、この作品って@@@なんだ!?」と初見の観客に気づかされることが多い。それは思いがけず作品を覆ったテーマであったり、個々のシーンの意味だったり、個々人の人格の役割だったり、笑いを生み出すポイントだったり、大きなことから小さなことまで様々だ。観られることで客観性が生まれ実感してみたり、彼らの反応に教えられてみたり。言葉を交わさなくても、観られるだけで色んなことを感じられるこの稀有な本番体験が作品を成長させる。それを本番に前倒して行うことで、本番の段階でのスタートの完成度を上げよう、という試みがこの試演会なのだ。

 小さな会場にギュウギュウに集まってくれた観客の皆さんの前で、思いっきり演じてみる。劇場には何かがある。それが何かは分からないけれど、確実に何かがある。変な言い方をすると「霊力が宿っている」。幽霊がいるとかいないとか、そういう話ではない。本番が近づく緊張感や音響・照明の効果が与えてくれる力、それは間違いなくある。でもプラスαの何かを感じる。ヒリヒリする。
 共演者の二人も存在に輪郭が出てくる。クッキリと存在している。「ここにいる意味を感覚的に知ってしまった身体」。もっと言えば「意味があろうとなかろうと、私はここにある」という根本的な説得力を持っている。そんな我々を見つめる無数の目。その目の数だけ解釈があり、それらはどれも正しく、どれも正しくない。そして多様な解釈の集合体であるはずの観客は、なぜか「一致団結して」我々の眼前に立ち塞がる。それから逃げたり目をそらしたりすると、せっかく彼らが無意識に教えてくれることを取り逃がしてしまう。屹立し、そのリスクに向き合って、初めて果実を手にすることができる。
 試演会終わりの合評会でそんなことを考えていた。観客は作品の鏡。そこで見えたことを汲み取って、松山に繋げていく。さらには沖縄、東京へ。観客が変われば作品の印象も変わる。我々も日々変わっていく。結局、どこまでいっても変化し続けていく。そういう生きた作品を創っていきたい。

 12月5日。京都芸術センター最後の稽古は「公開通し」。明倫ワークショップとして市民に公開の義務がある。公開稽古でもいいし、ワークショップをしてもいいのだけれど、我々が選んだのは「通し稽古」。松山へ出発する前の最後の稽古、最後の通しを公開することにした。これは今までなかったことで、やってみて非常によかったと感じている。試演会で感じたことを作品にフィードバックして再創作し、それを本番前最後の通しとしてさらに公開する。このタイミングでさらに観客の目に晒され、緊張感を持ってプレイできる。自分たちが再創作したものが何だったのかも、薄ぼんやりとではあるが自覚できる。参加者の皆さんは本当に熱心に観てくださって、作品に、我々に輪郭を与えてくださった。感謝します。

 そして今週末は初めての沖縄公演! ワークショップもやります! 素敵な出会いに期待!