やってみる演劇【俳優編】現場レポート②

 第二回(9月29日)は台風の中、始まった。直撃はどうやら翌日らしいのだが、朝から雨で不穏な風がヒョーヒョーと鳴いている。それはもうヒョーヒョーと。その影響もあってか二名お休みだったが、その代わりと言っちゃあなんだけど第一回を体調不良で欠席された方が来られた。前回欠席な上に今回も渋滞に巻き込まれて遅れて来られたのだけど、まるで「ずっといましたよ」と言わんばかりに馴染んでおられる。飄々と。それはもう飄々と。すごい! 鉄人! こうやって参加者の皆さんに助けていただきながら第二回も進んでいった。

 まずはストレッチからの肩叩き。朝10時からのワークなので身体を起こしてやる必要も感じるし、コミュニケーションの一環として他人との接触を積極的に促すという狙いもある。ただこれは実はリスキーで、知らない人に触れる・触れられることに強い抵抗を感じる方もおられる。誰でも多かれ少なかれ抵抗はあるけれど、それを乗り越えた効果を期待しているのだけど、乗り越えられない場合もある。数年前、高校演劇部の合同合宿の講師をやらせていただいた時に、この肩叩きをやって一人の女生徒が泣き出してしまったことがある。もちろん「嫌なことはやらなくていいよ」と前振りしているのだけれど、「これ、嫌だからやりません!」とみんなの前で言うのは大変勇気のいることで、楽しい空気のワークショップにも同調圧力が働くのだと思い知った。現に今回も最終日の最後に「すごい楽しかったけど、知らない人にいきなり触れるのだけはキツかった」とお一方が言ってこられた。言わないまでも感じている方もおられるはずで、このへんは慎重に、丁寧に進めていくべきだ、と改めて考えさせられた。
 肩叩きが始まってもまだ少し空気は重かったのだけど、お一方が「嗚呼、めっちゃ気持ちいいです!」と言ったことで場が一気に緩んだ。なんということのない一言。でもこれが揉んでいる人にとってどれだけ嬉しいか、そして二人の関係がどれだけ改善するか、それがどれだけ周りに伝播するか! 本当に一瞬で空気が変わった。私も妻に「ありがとう」と言おう。ご飯作ってくれてありがとう! 洗濯してくれてありがとう! 洗い物は私がしよう! ゾウリムシのような俺のそばにいてくれてありがとう! 一方的に大満足。スッキリしたところで次に行こう!

 人間知恵の輪〜連想ゲーム〜ビンバンボイン。連想ゲーム以外は前回と同じ。刺激の差し替えも大事だけど、同じことをやるのも実は大切。「お楽しみのあれ」になるし、やる度に向上していき満足度も上がりやすい。講師が「みんなが飽きないように色々やらなきゃ!」と強迫観念に苛まれたら良くない。これはこの後にやる「シーン作り」でも出てくるキーフレーズなんで、今は詳しくは書かないことにする。とにかく今回も皆さん、ゲームを通して「即興的に」「その瞬間その場にいる」ことを実践してくださった。連発するミスとその都度沸き起こる幸せな笑いがそのことを物語っている。

 ジェスチャーゲーム。いつもは二人一組で、要は一対一で同時多発的にやるのだけど、今回は趣向を変えて、一人が前に出て、全員に向かってジェスチャーすることにした。そうしたことで思いがけないメリットがあって、それは難しいお題も全員で力を合わせて正解できる、ということ。全員が思いついたことを次々口にする回答形式を取ったことで、お互いにヒントになり、結果「東洋の魔女」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」などまあまあの難易度のものを次々正解していった。もちろんジェスチャーした方の功績もあるけれど、その向こう側が見えた気がした。
 言葉が使えないことで「伝えたい」気持ちがより強くなる。伝わらないもどかしさが思考をめぐらせ、身体を突き動かす。我々が普段如何に言葉に頼っているかということなんだけど、言葉の意味自体はそんなに重要ではない、というのはまた別の話。とにかくコミュニケーションの基本となる「相手に伝えようとする」「相手を(分からないまでも)分かろうとする」ということを抽出してみた。このゲームでは良くも悪くも、言葉が使えないことで情報が記号化される部分があるのだけど、それのフォローは次の創作で行った。

 シーン作り。椅子をたくさん並べて「病院の待合室」を作り、そこに一人ずつ入ってくる。順番に好きなところに座り、ただ待っている、というワーク。大切なのは「ただそこにいる」こと。観ている人に何か伝えようとするのではなく、ただそこにいる自分を感じる。そして何もせず「そこにいる」。これができたら演劇はずっと楽しく、楽になる。
 最初は5人。順番を決めて入ってくる。どこに座るのか?そこでまず一つ人間の習性が見える。人がいるブロックは避ける。できれば端に座る。人がいても背中合わせなら座れる。どのブロックにも人が溢れてくると同性の側に行く。一人一人、なぜそこに座ったのかが分かるので、観ている人から「あー」なんて声が漏れる。全員が座ったらあとはそのまま放置。3分。みんな特に不安になることもなく、じっとそこにいた。と思ったが、終わってから聞いてみると「これいつまで続くんだろう?」「早く何か指示が出ないかな?」と不安になったようだ。そう、これが「表現の強迫観念」なのだ! 観ている人へのサービス精神から来る不安に突き動かされて何かすると、途端に「そこにいる人」としての説得力を失う。もちろん演劇はリアリティがなくてもいいし、楽しませるために何かしてもいい。でも前提として、何もしていなくても思考は動いていること、生理的に他人を感じて距離感を測っていること、刺激に反応すること、などを知っておきたい。演技も物語もサービス精神もその先にあるのが良かろう、というのが基本的な私の考え方。そのためにこんなワークをやってみる。
 じゃあ、どうすればこの場が動き出しますかね?と聞いてみる。会話が起こるキッカケや病状が分かる状態をみんなで話し合ってみる。「咳き込む」「腰痛で座れない」「ずっと待った挙句に、いつもこんなに待つんですか、ここ?」「地震で少し揺れる」など面白い意見がたくさん出る。ではそれをやってみよう。でも無理やりはやらない。飽くまでも我々が日常を生きる感覚を持って。みんな特別なことはしていない、でも少しずつ人によっては病状の見当がつく。過度な腰痛をいたわる絡みが起こる。そこに交わらない人もいる。私が手を叩くとグラッと揺れる。携帯で震度・震源を確認する人、「怖いですね」と話す人。少しずつシーンが動き始める。そんな病院の待合室を見た事があるか?と言われれば、まあないのだけれど、それぞれが「人間としての生理」に基づいて行動しているので全然不自然じゃない。リアルなのにドラマチック。創作のベースになるものを感じてもらえたんじゃないかと思う。感想を聞いてみると「(行動を起こした)○○さんに全部持っていかれましたよ」なんて意見が出たので、私の所感をお伝えした。腰痛に苦しむ人がいたとき、助ける人がいれば助けない人もいる。地震を契機に話す人もいれば話さない人もいる。むしろ日常では「出来るだけそういう動きに関わらないようにする人」が多い。そういう人がこの場面のリアルを担保するのだ、と。あなたの存在が最高に「効いていた」のだ、と。心の底からそう思った。

 次回からいよいよ「脚本を読んでみる」。

高杉征司