ジゼル・ヴィエンヌと茂木宏文

「幸福な王子」終わりで東京へ。一つは芸術公社の主催するドラマトゥルギー・ラボ特別編、ジゼル・ヴィエンヌ氏のレクチャーに参加するため。もう一つは、今度3月に作らせてもらうオペラのための打ち合わせ。そして幸せなことに、その合間に、夏に講師をさせていただいたワークショップの参加者とランチしたり、ドラマトゥルクの朴さんと落ち合って、京都にいる高杉さんとオンラインミーティングをしたりも。

まずはジゼルのレクチャーを聞きにアンスティチュ・フランセへ行き、あっという間の2時間を過ごす。スタートして5分ぐらいで、あ、参加してよかったやつかも、と思う。いろんなファシリテーターと出会うが、だいたいいつも話して5分ぐらいで、この人が今の私のレベルにぴったりかどうかがわかる。レベルが上すぎても下すぎても何を言っているのかわからないのだ。ジゼルはちょうど私が、感覚としてわかっていたことを少し深く掘り下げたりはっきりと言語化してくれたりで、例えが上手いのも相まって相当面白かった。結局彼女は演出としてとても地味な作業を行っているだけなんだけど、それができているからこそ作品が結実するのだということ。幾つかの過去作品を見せながら説明が進んでいく、彼女の過去作品を以前に何度もウェブなどで観たのだが、ぶっ飛んだ舞台写真からは程遠い緻密で堅実な創作過程を知ることができた。

2時間をオーバーしたので、まだ終わらないうちに私は次の待ち合わせのために神楽坂を登る。

作曲家の茂木宏文さんと落ち合う。イタリアン食べながら、お互いの影響を受けた作品などについて語る。そういう提案してくれたのは茂木さんだ。提案されるまでは思いもつかなかったけど、確かにお互いの興味について知り合うことから始めるのは、創作にとっては重要かもしれない。(今この記事は茂木さんに教えて貰った「ル・グラン・マカーブル」の「マカーブルの秘密」というアリアを聴きながら書いている)

翌日はサマースクールで出会った方々とランチ。勝彦さんの書いた物語に、ウォルフィーさん、いくちゃんと大笑いする。勝彦さんは本当に天才だと思う。

その後もう一度茂木さんと会い、アイディア出し。オペラを作るのは二回目だけど、なんというか、今の所演劇を作るのとあまり変わらないスタート。つまり観客にどういうドラマを届けたいのかということ。ただスタートから作曲家がいるというのが大きく違う点だ。とにかく、作曲家と一緒に作る感覚を私は求めていたし、茂木さんもそれを希望されていたので、幸せな出会いだと思う。にしてもまだそこにいない観客に対して、先にドラマを作るということの難しさよ。これ、人間の脳の動きに似ている。例えば言葉を思い出そうとするとき、私たちはその言葉が何なのか忘れているくせにその言葉が探せばどこかにあることを「知っている」。創作もおそらくそういうことなんだ。観客がその存在を知ってはいるもののその名を忘れてしまったもの。思い出したいもの。それを掘り出すのが私たちなのだろう。

夜はstamp制作ミーティング。朴さんと高杉さんと話す。「財産没収」に始まって、2020年3月までのことを。

次の日は朝10時半から18時まで、ジゼルのワークショップ。課題として読んだロベルト・ヴァルザー「池」が私にとってはドストライクの戯曲で、何度読んでも発見があって面白い。これをどういう風に紐解いていくのかというワークショップに前日から心が躍っていた。

ただ、実際のワークショップは、パフォーマーではない私には結構辛いものであった。ジゼルの話はいくらでも楽しめるのだが、自らがメディテーションに参加するのは辛かった。聴講を希望するべきだったのかもしれない。とにかく、静かな一人きりのプライベート空間で何度チャレンジしてもなかなか掴めない「メディテーション」というものに、全く知らない他者が多くいる初めての場所で挑むのはかなり(私には)無理があった。それでも「郷に入れば郷に従え」が私のモットー、と思い挑んだのだが・・・

彼女がこのロベルトの戯曲をどのように見ていくかが語られたのはやはり面白かった。私が戯曲を読んだレベルで「こうしたい」と思っていたことと、ジゼルのアイディアはほぼ同じだった。でも私が驚いたのはそこではなかった。ジゼルは言った。「この素描のようなものを発表の2年ぐらい前に作ります」と。

サファリ・Pも一つの作品に数百時間の稽古をする。だけど2年前に素描はつくらなかった。そんな前から、そこまではっきりと試すのか。納得するまで俳優を探し続けたりというエピソードも。

メディテーションでは辛い思いをしたが、結局収穫のあったワークショップではあった。今週末はジゼルの「CROWD」を京都で観る。