6/1 13:00 右近健一氏(劇団☆新感線)
6/2 13:00 中村征樹氏(大阪大学全学教育推進機構准教授)
6/3 13:00 山納洋氏(大阪ガス株式会社 都市魅力研究室長、本公演ドラマトゥルク)
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6/1 13:00 右近健一氏(劇団☆新感線)
6/2 13:00 中村征樹氏(大阪大学全学教育推進機構准教授)
6/3 13:00 山納洋氏(大阪ガス株式会社 都市魅力研究室長、本公演ドラマトゥルク)
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この度、観劇レポーターを募集いたしましたところ、 多くの反響をいただきました。応募してくださったみなさま、また、この募集を若い観劇者のために広めてくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。
下記のみなさまを、観劇レポーターとして公演にご招待させていただきます。
(以下、公表可のニックネームにて掲載)
———————–
中筋捺喜
にっかちゃん
鼓
こーすけ
トキオ
MH
温井
タロシ毎子
コブシ
こうすけ
なかしま
ひかる
花歩
タヌ
ふじえもん
———————–
上記の方々には担当者より今後の流れについて直接ご連絡いたします。
この観劇レポーター企画は、若い観劇者の方々に、演劇作品をただ観て終わりにするのではなく、観て感じたことについて考えを深めていただくことを目的としてい ます。
今後の取り組みもホームページで随時発信していきます。
引き続きどうぞご注目ください。
「私の家族」について、劇団☆新感線の右近健一さんにお話を伺いました。
2018年1月、『私の家族』東京公演が迫る稽古場で、サファリ・P俳優の高杉征司を迎えて、『私の家族』劇作・演出の山口茜、『私の家族』演出助手の朴建雄の3名で、鼎談を行いました。作品の魅力についてのみならず、脚本の書き方や演劇の集団性が孕む問題点等にまで踏み込んだ、内容の濃いものとなっています。ぜひご一読ください。
無自覚に変わっていく人間を書く
朴:今日は、山口さんが演出を務めておられる劇団、サファリ・Pの俳優の高杉征司さんをお迎えしました。脚本を読んでどう思われたか、今回稽古場にいらしてどういう事を考えられたかをまずお聞かせいただきたいと思います。いかがでしょうか。
高杉:脚本、おもしろかったです。でも、稽古場にきたら4割ぐらい変わっててびっくりしました。がっつり変わってましたね。年始に送られてきた最新版から、もうがらっと。そうやってがつがつ変更を入れるのはクリエイティブないい面でもあるけれども、反面、俳優のことを考えると事前に精度を上げて無駄なく稽古ができる環境をつくったほうがいいだろうし。難しいですけどね、現場に入らないと分からないことがいっぱいありますから。
朴:難しいですね。共同で作るからこそよいものになるということもありますし。
山口:実際に稽古で立ち上げてみないとわからないことがすごくたくさんあったんです。ドラマトゥルクの山納さんと相談しながら書いたものから、大きく変わりました。
高杉:なるほど。そういえば私、山口さんの作品はいくつか観てるけど、脚本は読んだことなかったんですよ。
朴:意外ですね。
高杉:そう。だから単純な比較はできないけど、なんかね、整理されてた(笑)でも山口さんの特徴だと僕が思ってる、先鋭的なアーティスト性、理屈はよく解らないけど時として爆発的におもしろい、そういう歪さは損なわれていなくって、それが良かったです。
山口:そこは意識して作りました。
高杉:それと、山口さんは人間にすごい興味があるんだなって思った。本当に。山口さんが人間をどうみてるのか、分析した上でどうテキストにあげたらおもしろくなるのかが伝わってきました。人間ってこういうとこあるよねって言葉で説明してしまうんじゃなくて、会話や感情のすれ違いみたいなものを言葉にせず空間に立ち上げて表現しようとしているのを脚本を通じて強く感じて、すごく人間書いてるなあと思った。行間があるというか。
朴:僕もそう思いました。
高杉:それと、なんか、怖かった。怖いというのは、一つには不穏な、静かな暴力が所々で表面化するあの圧のかかった空間。あれは分かり易く怖い。でもそれだけじゃなくて、人間が自分を捉えきれないというか、今日の稽古でも山口さんが何回も言ってたように、人って誰かと一緒にいることによって知らず知らずのうちに思考が変わってるんですね。でも「変わったね?」って誰かに指摘されるまでは気づかないことがある。最悪言われても気づかない。そうやって無自覚に変わっていく人間、変えられていく人間。環境から外的な刺激を取り込んで内的に処理して日々自分を更新し続けているけど、それはあまりにオートマティックな作業で、結果自分のことは自分が一番わかってない側面がある。それはあまりに当たり前のことで、でも相当怖いことだって思わせられた。
山口:そうですね。
高杉:あとは関係性の強迫観念。本心は別のところにあるのに関係性の中でそれが言えなくて、共犯関係を結んでいく所も怖い。人間のそういう部分が、すごくおもしろいし、怖いなって思った。実感があるから余計に。
朴:なるほど、ありがとうございました。
「気がつかないほど緩やかに 蹂躙されていく」ための技術
朴:山口さんにまず伺いたいのは、『私の家族』フライヤーに記載されていた、「気がつかないほど緩やかに 蹂躙されていく」ということを演劇で表現する難しさについてです。演劇で、これを表現するのはとても難しくありませんか?演劇は凝縮された時間しか提示できないので。いかがでしょうか?
山口:勝算はなかったですね(笑)サファリ・Pで『悪童日記』を創作したときも、はじめに「文体を舞台化する」って言ったけれども、それが具体的に何なのかということは稽古で探りました「気がつかないほど緩やかに 蹂躙されていく」というのも、実際にやろうとしたらすごく難しくて、なんせ(下敷きになった)尼崎の事件は、外から見ると「蹂躙」そのものでしかないわけで、それを他人が見たら、モンスターがやったことにしか感じられない。私とは関係ないということになってしまう。そうなってしまうと失敗だなと山納さんとずっと話していたんです。やっぱり見ているお客さんに、自分もそうなり得ると思ってもらう必要があって、そのためには、人が、本当に気がつかないほど緩やかに変化していく必要がある。
ところが、2時間で緩やかには誰もとりこまれない。なので、時間を飛ばしたり、変化を急激にしながら、お客さんには「緩やかだ」と感じてもらう必要がある。それが、俗に言う「テクニック」なんだなって今回気づきました。演劇ってこういう作業なんだと思いましたね。もちろんこうじゃない演劇もあるし、そもそも「時間を飛ばす」基準とか「なぜ2時間しかないのに長い時間をかけて緩やかに変化していく様を必死になって描こうとしてるんだろう私」ということは何度も考えました。
高杉:シーンが変わったら急に呼び方が変わっているところとか、おもしろいよね。シーンの時間が飛んで関係性が露骨に変わってるんだけど、その間の時間の緩やかさはとてもわかりやすく想像できる。2時間リアルタイムで緩やかに変わっていくんじゃなくて、時間を切って飛ばしながら、わりとはっきり変化しているのに、緩やかに変化していくのが感じられた。
劇作家の無意識と論理について
高杉:あと、今回稽古場に来てみてびっくりしたのが、脚本を他人が書いたものみたいに扱ってるなというところ。
山口:それ実は、20年前からそうです。
高杉:そうなんですか!
山口:無意識に勝てないんです。それが自分の特徴なんだと思います。私、意識と行動のズレがすごくあって。自分が書いた脚本にもかかわらずなんでこんなことを書いてしまったんだろうと思うことが若い頃は特に多かったです。例えば知り合い(以下A子さん)が会社を辞めるのに協力したことがあって、A子さんには欠勤や盗癖があったので、間に入るのが大変だったんですが、なんとか無事辞めることができて、A子さんにはものすごく感謝されました。その後しばらくして、私が演劇を上演したんですね。そしたら、あんなに密に連絡を取り合ってたA子さんが観にこないんですよ。別に仲良しなんだから観にこいよというわけではなくて、私とA子さんが所属するグループのメンバーはみんな、観に来たんです。A子さんもグループの集まりのときには楽しみだと言ってたのに、なぜか彼女だけ来なかった。なんでだろう?と思ってたんだけど、ずっと後になって気がつきました。
その芝居は、まさにA子さんが会社を辞めたエピソードをモチーフにした話だったんです。それでA子さんは嫌な気持ちになって、観に来なかった。自分で書いておいて、なぜ気がつかないのか、と不思議に思うんですけど、20代の頃はそういうことが自分の身に頻繁に起きていました。今思えば、A子さんに対する不満を押し殺して、彼女に協力していたのがよくなかった。それが脚本に出てしまった。自分の感情を、その都度ちゃんと顕在化させて意識に上げて認め、受け入れると、コントロールできるようになるんだと言うことに徐々に気がつき、最近ではさすがにこのレベルのズレは起きなくなりました。ちなみにこの「抑圧された感情が無意識に他者を傷つける」という性質が、この作品の下敷きになった事件の主犯格の女性にもあったんじゃないかと思っているのですが、それはまた後で。脚本を書くときの話に戻りますが、自分の意識が気付いていないところにタッチする感覚というのは確かに手触りとして残っていて、A子さんの事件のような浅いところではなく、もっと深いところに潜れないかなあと脚本を書くときはいつも思っています。ただ、論理的に考える力が弱いので、実際稽古になったときに修正が必要になるんです。
朴:本人はただ書いているだけなんだけれども、それがもしかしたら無意識が出てきているということかもしれない。
山口:つじつまとか論理を合わせてるつもりなんだけど、あってない。でも、下手に論理的にしようとすると、いいところ(無意識にタッチできたところ)が消えてしまうんです。実際そうやって「つじつまを合わせたい!」ともがき続けて、うまくいかない、ぜんぜん成長しないなあという時期が10年ほどあり、この作業を自分でやるのは無理だと気がつきました。それで、ドラマトゥルクを置くようになったんです。『私の家族』のドラマトゥルクの山納さんには、やってもらいたい作業は、私がぜんぜん違うところに走っていったときにそっちじゃないって言ってもらうことだって何度も伝えました。今回、論理の人がいるから安心して泳げるみたいなところはありました。
朴:そういう意味で言うと、初稿時点で破綻はなかったですね。もっと深められる強固な軸を持った脚本が、稽古場で出た意見でさらに掘り下げられたという感じでした。
関係と状況が持つ圧力
朴:話がすごく戻ってしまうんですが、山口さんはそもそもなぜこの『私の家族』を書こうと思われたのでしょう?「私も起こしうる」と思われた理由はどうしてですか?
山口:十分に素質があると思ったんです。(主犯格の人間と)同類だと。ものすごく広い範囲で言えばですが。山納さんが当日パンフレットに尼崎では人間関係が濃いと書かれていましたが、同じように濃い人間関係がわたしの周りにもあったんです。そしてまた、さっき言ったように、彼女の中の抑圧された感情が、無自覚に暴走する所も自分と似ていると思いました。そしてこの「無意識」こそが、大量殺人の真犯人ではないかと思ったんです。そのことを作品で証明してみたいと。でも山納さんはそれを「ファンタジー」とパンフレットに書かれました。
朴:ちなみに、高杉さんはこの事件に関して、自分が当事者になりうると思われますか?
高杉:加害者にはならないかなと思います。というのも、小学生のときに周囲をコントロールしようとしすぎて、とんでもないしっぺ返しを食ってしまって(笑) それ以来、自分のそういう感情にすごいアンテナを張っているので。
朴:すでに経験済みなんですね!?
高杉:そうですね(笑)今の自分で考えると、被害者にはなりうると思う。事件だけ聞いたら、警察行けよとか、そのオバハンを取り押さえてしまえよと思うんだけど。絶対倒せるだろうって。でもいざその立場になるとできないんだよね。そういうことはあの事件に限らずいっぱいありますよね。例えば痴漢とか、触られて怖くて声も出せなくて、みたいな話聞いてて、声出せば周りが助けてくれるって言うけど、いざそうなったら性的なことであるという恥ずかしさもあるし、いろいろ怖さもあって声が出ないとか、体が固まって動けなくてとか、泣き寝入りするってことはすごくあり得ると思います。ぼくは痴漢被害に遭ったことはないですけど。自分でいろいろ思ってたけど、実際やってみたら思ってたのと違う、出来なかったなんてことはいくらでもある。全然ひとごとじゃない。
朴:恐怖というのは人を支配するのに大きな役割を果たしますよね。この作品では、恐怖の源泉である具体的な暴力が舞台上では表現されませんが、それは意図的なものなのでしょうか?
山口:そうです。というより、単純に取り扱えないと思いました。殴る演技って難しいし、目の前で暴力的なことをしてしまうと、「痛い」というところにお客さんの気持ちが行って作品に集中できなくなってしまうような気がするので、見せたくないというのがまず大きくあります。
高杉:サファリ・Pの創作でも「暴力」と「性」をどう扱うかの格闘が毎回あるもんね。「私の家族」では、物理的な暴力を使わないことで人間心理が浮き彫りになっていて、その試みが成功していると思う。さっきも言ったけど、はじめは違和感を感じていても、その人との関係を崩したくないって思った瞬間、無自覚にその違和感を受け入れてそれが当たり前になっていく、そしてその変化に自分が気付かないみたいな。これは殴るより怖い。自分の身に覚えがあるから、ぞっとする。
山口:関係を崩したくないっていうのは、思った以上に強い力ですよね。
朴:人間関係を濃くしたいとどちらかが思うと、そうなってしまうんですかね。相手がほしいって思ってしまうと、支配に行ってしまう。
劇団とプロデュースユニットについて
朴:山納さんの『つながるカフェ』という本にはこういうことが書かれています。他者とつながるための場は実はずっといる場ではない。つながったあとはまたつながった人と新しいことをするから、そこから卒業することになる。つながる場は、卒業する場である。成長し、卒業し、また新しい場へとつながる場である。『私の家族』に書かれているような、「愛」が支配している場は、相手を閉じ込めて、卒業させない場でもあるわけです。
高杉:劇団やん(笑)
朴:そう、ここで集団の話をさせていただきます(笑)山口さんは、プロデュースユニットであるトリコ・Aプロデュースと劇団であるサファリ・Pの両方をされていて、高杉さんはサファリ・Pの俳優でいらっしゃるわけですが、トリコ・Aとサファリ・Pについて、それぞれお二人にお話いただければと思います。劇団というのは、互いに密接になって集団の中に閉じこもるというネガティブな面と、創作のための言葉と方法論が共有されることによって作品の強度が高まるというポジティブな面の両方があると思います。劇団を続けていくためにそこをどう調整していくのかという点について、高杉さんはいかがお考えですか?
高杉:劇団の失敗っていうのが何かにもよるなと思うんですけど、どう設定するのがいいんだろうね。いや例えば、解散を一つの失敗と見ることはできる。でも、劇団がつながる場だったなら、そこで得たものや出会えた人と次のステージへ飛び立っていくんであれば、別にそれは失敗じゃないというか、過程じゃないですか。自分が代表をやっていた劇団が解散したんだけど、そのときにやっぱり、集団をやっていく難しさとか、自分の無力さとか醜さとかいろいろ感じたので、しばらくフリーでやってたんです。外部で出演させてもらって、そこでいろんな人と出会っていろんなものを吸収してやっていくっていうのも、すごくやりがいもあるし面白かったんですけど、フリーでやればやるほど、固定のメンバーで深く掘り下げていってみたいなという欲求が出てきたんですね。で、時を同じくして山口さんも同じようなことを考えていたので、じゃあ一緒にやろうかということになりました。
朴:なるほど、ありがとうございます。では、次はトリコ・Aに関して山口さんからお話をお伺いしたいと思います。
山口:私は誰かと一緒に長い間やりたいという望みはあったんだけど、誰も一緒にやってくれないなと勝手に思ってあきらめてました。とはいえ、プロデュースといいながらも長いことやってると出てもらう人が決まってくる時期があります。それで一瞬、俳優と共通の目的を持てたような気がするんですけど、同時に15年もやってると、何度も大赤字になったりする。それを当然全部自分で抱え込むわけです。そうすると自分だけが我慢しているような気持ちになってきて、ああ、やっぱり私は一人だなと感じてしまう。全部自己完結しちゃってるわけです。あんたのお金と時間を無償で私に委ねろ、という劇団の主催者はたくさんいますが、それがやりたくなかったし、できなかった。こだわりでもあったし、おそらく「作品に対する自信のなさ」の表れでもあった。今でも、誰かと一緒にやり続けたいという気持ちはすごくあるんだけど、じゃあ劇団のために無償で頑張ってね、というところに繋がらない。
高杉:精神面の負担も、金銭面の負担も、かかった方が力を発揮することがあるから、おもしろいなとは思うけどね。
山口:確かに。少なくとも私はある程度負担やリスクがないと奮起しないタイプです。
高杉:だから負担をかけたくないって思っている相手も、もしかしたら負担を欲しがってるかもしれないよね。モチベーションにもなるし、頼られてる、信頼されてるっていう関係性にもつながるし。帰属意識が強まる。依存と自立の問題もあるし、難しいけど。まあ善し悪しは別として、そういうこともあるっていう話。
朴:どこまでやってあげられるんだろう、やってくれるんだろうというところをちゃんと言語化することが、集団を維持する上ではかなり重要かなあという気がします。「だろう」ではなく、ここまでやってあげる、やってくれるということをお互いに明確化する。劇団をやるというのは、この人はこういう感じなのかなというところからはじめて、お互いにここまではやるというところをみんなで共有していくということかもしれないですね。
高杉:さっきも言ったけど、劇団については何が成功で何が失敗かわからないところはある。何が言いたいかというと、劇団を維持すること、今のメンバーでやり続けることに固執すると、知らぬ間に目的がそれにすり替わってしまって、集団としての軸がぶれまくってしまう。じゃあどうせ続かないんだ、通過点なんだと最初から割り切ってやってしまうと、劇団をやっていることの意味が薄まってしまう。劇団という集団を作ることに関しては、そこのさじ加減が難しいと思う。
朴:トリコ・Aとサファリ・Pを擁する合同会社stampがやっているのは、そのあたりの試みなんだろうなと思います。プロデュースと劇団の両方をやっているところって、他にはありませんよね。合同会社stampの今後が楽しみです。
自分の中に潜む顔と出会う
朴:最後に、高杉さんから、『私の家族』推薦のお言葉をいただけませんでしょうか?15人くらい観客が増えるようなお言葉を(笑)
高杉:脚本を読んだときには、細部まで詰まっているなと思っていたんだけれど、稽古を見ると、そこはやっぱりすごい余白があって、そこにどんどん、まるで人が書いた脚本かのように新鮮な気持ちで俳優と共同作業で取り組んでいる山口さんの姿があって。ぼくはちょっと感動しました。とてもいいなと思って。この作品で描かれているような、自分の中に潜んでいる自覚していない顔に触れることは人間にとってなにか刺激になると思うので、ぜひ体験しに来ていただけたらと思います。
朴:無茶振りにもかかわらず、お客さんが30人くらい増えそうなすばらしいコメントをありがとうございました!それでは、今日のゲストは高杉征司さんでした。
(写真撮影:堀川高志)
今回の募集は締め切りました。
たくさんのご応募ありがとうございました。
結果はこちらをご覧ください。
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電話 080-9462-3355
メール toriko.a@stamp-llc.com
ウェブサイトhttp://stamp-llc.com
トリコ・A演劇公演2018 関西公演
「私の家族」
|作・演出
山口茜
|出演
天明留理子(青年団)
中田春介
吉岡あきこ
藤原大介
長尾純子
昇良樹
一人の女が助けを求めてやってくる
家の床下に死体があるという
あなたは半信半疑で女に同行する
床下のハッチを開ける
闇
あなたは胸を撫で下ろす
目を凝らしながら言う
何もないじゃないか
あなたはハッチを閉めて
ふと身震いする
あなたの身体は気がついている
その闇に
あなたがすでに踏み込んでいることにお前がいると 世界が汚れる
|日時
2018年
2018年5月31日(木) – 6月3日(日)
・全6ステージ
・上演時間:1時間45分
5月31日 | 木 | 19:00 | |
6月1日 | 金 | 13:00 ★ | 19:00 |
2日 | 土 | 13:00 ★☆◎ | 19:00 ◎ |
3日 | 日 | 13:00 ★ |
受付開始は開演の40分前、開場は開演の20分前
*★印:13時の回の終わりに20分程度、山口茜とゲストによるポスト・パフォーマンス・トークを行います。
*☆印:無料保育サービス実施回
*◎印:聴覚障害対応字幕サービス実施回
*トリコ・Aプロデュースではどなたでもご観劇いただける環境づくりを進めています。ご希望の方はお問い合わせください。
|チケット料金
日時指定・自由席
未就学児童の入場はお断りしております
チケット | 料金 | 備考 |
前売券 | 3000円 | クレジット決済および指定銀行振込で受け付けます。 |
当日券 | 3500円 | |
初日割 | 2500円 | 要事前予約。5月31日19:00の回のみ受け付けます。 |
ペア割 | 5000円 | 要事前予約。電話予約のみ受付。2名ペアでの予約で1名2500円で観劇いただけます。1ステージ5組限定。 |
3公演パスポート | 6000円 | 合同会社stamp主催公演のうち3作品を選んでご覧いただけるパスポート券です。2018年度トリコ・A「私の家族」、サファリ・P「財産没収」、サファリ・P「悪童日記」、2019年度サファリ・P「新作公演」、トリコ・A「新作公演」の5つからお選び頂けます。 |
|25歳以下の方へ
各ステージ3名まで無料でご招待させていただきます。要予約。
観劇後、感想を書いていただきます。
いただいた感想は公表させていただく場合がございます。
詳細については、近日中に本ホームページにて情報公開予定です。
|チケット取り扱い ※3月19日13時チケット販売開始
お電話およびメールでのお申込みの方へ
1.お名前/2.ご連絡先/3.チケット種類/4.ご希望枚数/5.ご来場日時をお知らせください。
|観劇サービス ※要予約
合同会社stampではどなたでもご観劇いただける環境づくりをすすめています。ご希望の方はお問い合わせください。
その他通常の観劇が困難な方は上演日の2週間前までにご相談ください。
|会場
ウイングフィールド
〒542-0083
大阪府大阪市中央区東心斎橋2-1-27周防町ウイングス6F
TEL: 06-6211-8427
|スタッフ
舞台監督:浜村修司、照明プラン:池辺茜、初演音響プラン:小早川保隆、照明操作:岩元さやか、音響操作:林実菜、衣装:南野詩恵、宣伝美術:堀川高志、宣伝写真・舞台美術:松本成弘、ドラマトゥルク:山納洋、ドラマトゥルク補佐:朴建雄、制作:曽根千智、協力:青木敦子、NPO法人シアター・アクセシビリティ・ネットワーク、青年団、劇団飛び道具、ワンダー・プロダクション、SARUGAKUCOMPANY、DAE inc.
助成:公益財団法人セゾン文化財団、大阪市芸術活動振興事業助成金(申請中)
企画・製作:合同会社stamp
|お問い合わせ
電話:080-9462-3355
メール:toriko.a@stamp-llc.com
ウェブサイト:http://stamp-llc.com