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『財産没収』ドラマトゥルギー・ノート その二
~時代背景について~

 サファリ・Pのドラマトゥルクを務めております朴といいます。このドラマトゥルギー・ノートでは、サファリ・Pの『財産没収』の作劇術(=ドラマトゥルギー)について、3つの要素に絞って紹介をしています。今回は『財産没収』という戯曲が書かれた時代背景について論じます。


写真/サファリ・P 第3回公演『財産没収』より 撮影/堀川高志(kutowans studio)

 『財産没収』が出版されたのは1941年6月19日。アメリカが第二次世界大戦に参戦するほぼ半年前です。同年12月8日(アメリカでは、12月7日)に日本軍による真珠湾攻撃が行われました。この劇のト書きの中には、時代が何年頃であるかの記述がありません。劇中で少女ウィリーが口ずさむ歌You’re the Only Star in My Blue Heavenはジーン・オートリー(1907-1998)によって作詞作曲され、1936年に発表されています。そのためこの劇の「時間」は1936年から1941年の間であると推定されます。

 この作品のテーマソングを歌うジーン・オートリ―は、「The Singing Cowboy:歌うカウボーイ」の愛称で呼ばれた、米国を代表する国民的カントリー&ウェスタン・シンガーかつ西部劇俳優でした。日本では、「Here Comes Santa Claus/サンタクロースがやってくる」、「Rudolph The Red Nosed Reindeer/赤鼻のトナカイ」、「Frosty The Snowman/フロスティー・ザ・スノーマン」などの戦後リリースされたクリスマスソングでよく知られています。ちなみに、You’re the Only Star in My Blue Heavenは、ベスト盤等にも収録されておらず、彼の歌の中ではあまり有名ではありません。

写真/サファリ・P 第3回公演『財産没収』より 撮影/堀川高志(kutowans studio)

 当時の時代背景について、具体的には1920~40年代の戦間期のアメリカのことをより掘り下げてみます。1920年代のアメリカは「狂乱の時代」と呼ばれ、大きく栄えました。アメリカは第一次世界大戦で強力な債権国になり、好景気を背景に大衆消費社会化が一気に進みました。自動車と映画が普及し(自動車の価格は10年代の3分の1となり、映画は27年にトーキー化され、29年にアカデミー賞が発足)、ジャズと雑誌も流行します。当時は「ジャズ・エイジ」とも言われました。ニューヨークでは建築ブームが起こり、エンパイア・ステートビルやクライスラー・ビルが建築されます。また、1920年には女性参政権が確立し、フラッパーと呼ばれる自由奔放な女性たちも現れました。1920年には禁酒法も制定されますがアルコールを求める人々は絶えず、シカゴのアル・カポネに代表されるギャングによる全米の酒類密輸と組織犯罪の勃興に繋がっていきます。

 政治的には、歴代最低と言われる大統領ハーディングと、なにもしない「サイレント・キャル」クーヴァ―が続き、1929年10月24日、「暗黒の木曜日」と呼ばれる株式暴落が始まり大不況が起こりました。1931年までに4000以上の銀行が倒産、1933年には実質生産は3分の1減り、失業率は25%に達します。絶望が全米を支配する中、1932年に当選したフランクリン・デラノ・ローズヴェルトは政府が積極的に市場経済に関与する「ニューディール政策」で、公共事業や職業訓練等を積極的に行います。以上みてきたとおり、30年代のアメリカは20年代の好況から急転直下した不況のどん底にありました。『財産没収』のウィリ―のような、かつて華やかな生活を垣間見た貧しい少女は実際に数多く存在していたのです。ちなみに、前回少し言及したのですが、アメリカ南部には「名誉の文化」という特有の文化があり、テネシーの作品に大きな影響を与えています。これに関しては、東京公演時、上演前に私が行う解説トークで話そうかと思っていますので、ぜひおいでください。京都・愛媛・沖縄でご覧になる方で、もし気になる方がいらっしゃいましたら、サファリ・PのSNSで聞いていただければそこでもお答えします。

写真/サファリ・P 第3回公演『財産没収』より 撮影/堀川高志(kutowans studio)

 次回は、これまでほぼ論考がないサファリ・P独自の演技・演出について書きたいと思います。観劇してくださるみなさまの感想が「むずかしい」で終わらないように、どういうところに目を向け耳を澄ませばよいかを論じます。ご期待ください。

 

筆者:朴 建雄

ドラマトゥルク。演劇が必然的に抱え込む様々なあわいを活性化することに関心があり、創作過程と観劇体験の両方を深めるため合同会社stampの演劇製作に関わる。こまばアゴラ演出家コンクール2018実行委員会事務局長。2018年、クロード・レジ演出『夢と錯乱』の劇評により、ふじのくに⇄せかい演劇祭2018劇評コンクール最優秀賞受賞。

 

 

「財産没収」ドラマトゥルギー・ノート その一
〜テネシー・ウィリアムズという劇作家について〜

 サファリ・Pのドラマトゥルクを務めております朴といいます。ドラマトゥルクというのは、ドラマトゥルギーの担当者のことです。ドラマトゥルギーとは、「作劇術」の意で、かつては戯曲の書き方を指しましたが、戯曲以外の要素が大きくなってきた現代の作品においては、その意味が上演までの創作過程全体のことに広がりつつあります。この変化に対応し、もともと劇作家が兼ねていたドラマトゥルクの仕事は企画制作(題材や戯曲の選定、編集)・創作過程(稽古場での意見交換)・観客受容(広報や解説)にまたがってきています。

 今回このドラマトゥルギー・ノートでは、サファリ・P 第4回公演『財産没収』のドラマトゥルギーを三つの要素に分けて記していこうと考えています。具体的には、作者テネシー・ウィリアムズ、『財産没収』が書かれた時代背景、サファリ・Pの演出・演技の方法論に関して書いていきます。今回は、劇作家テネシー・ウィリアムズと彼にとって『財産没収』がどのような位置づけの作品なのかについて論じます。


 写真/利賀演劇人コンクール2015参加作品「財産没収」より 撮影/中尾栄治

 テネシー・ウィリアムズ(1911-1983)は、20世紀のアメリカ演劇を代表する劇作家です。本名はトーマス・ラニア・ウィリアムズ三世で、「テネシー」は本格的に劇作を始めた青年期からの筆名でした。彼に並ぶアメリカの劇作家としては、ユージーン・オニール(代表作:『楡の木陰の欲望』『夜への長い旅路』、ノーベル文学賞受賞者)、アーサー・ミラー(代表作:『セールスマンの死』『るつぼ』)、エドワード・オールビー(代表作:『動物園物語』『ヴァージニア・ウルフなんて怖くない』)などがいますが、ご存知でしょうか?テネシーの代表作の多くは1940~50年代に書かれ、例えば『ガラスの動物園』(1944)『欲望という名の電車』(1947)『熱いトタン屋根の猫』(1955)は、日本でも盛んに上演されています。同じテーマを何度も描き続ける作家として知られ、1960年代以降は批評家にマンネリだと酷評されながらも独自の深化を遂げた作品を書き続けましたが、生前は評価されず失意のうちにアルコールとドラッグとセックスに溺れた晩年を送りました。同性愛者であったことでも知られており、同性愛解放運動が高まりを見せていた1975年に出版された『回想録』では同性愛経験を赤裸々に語っています。この本は当時ベストセラーとなりました。彼の戯曲の主な題材は、出身地であるアメリカ南部(この地域独自の文化は次回詳述します)や統合失調症を病み生涯を精神病院で送った最愛の姉ローズでした。彼の作品は呻き声にも似て、喪失の苦しみと再生への欲望に彩られています。

写真/利賀演劇人コンクール2015参加作品「財産没収」より 撮影/中尾栄治

 今回上演される一幕劇『財産没収』は、もう一つの一幕劇『解放』とともに、『アメリカの情景』という題名で、1941年6月19日に、ニューヨークで出版されました。当時テネシーは30歳で、彼にとって初めての著書出版でした。この『アメリカの情景』には、「人々の風景」(二本のミシシッピ劇)という副題もつけられています。当時は『ガラスの動物園』や『欲望という名の電車』のブロードウェイ公演による大成功を収める前で、テネシーにとっては苦難の時期でした。1940年に初めてプロ劇団のために書いた作品『天使のたたかい』は試演会での不評によりブロードウェイ公演中止になり、ハリウッドに一時的な職を得たものの「ハリウッドの虫けら」として悪戦苦闘していたのです。青年期以降の彼はひとところに長く住むということがなく、アメリカ各地への放浪を繰り返して執筆していました。今回のサファリ・Pによる『財産没収』の演出は、そんな当時の彼の姿を偲ばせるものになっています。


写真/利賀演劇人コンクール2015参加作品「財産没収」より 撮影/中尾栄治

 ちなみに筆者は大学院でこの作家を研究しており、修士論文のテーマは未邦訳の後期作品群でした。ウィリアムズの後期作品には『ガラスの動物園』の続編ともいえる自伝劇『ヴィユ・カレ』『曇ったもの、澄んだもの』や、『グレート・ギャツビー』で著名なスコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダに自分と姉の関係を重ね合わせた亡霊劇『夏ホテルへの装い』など興味深い作品が多くありますが、残念ながらいずれも未邦訳です(そのうち筆者が自分で翻訳しようと思っていますが)。これらの作品に関する最新の研究成果、テネシーの生い立ちや姉ローズとの関係性についての詳細な記述を盛り込んだ充実した解説文を公演で販売するプログラムに寄稿しておりますので、ご興味のある方はぜひ劇場でお手に取っていただければ幸いです。

 

筆者:朴 建雄
ドラマトゥルク。演劇が必然的に抱え込む様々なあわいを活性化することに関心があり、創作過程と観劇体験の両方を深めるため合同会社stampの演劇製作に関わる。こまばアゴラ演出家コンクール2018実行委員会事務局長。2018年、クロード・レジ演出『夢と錯乱』の劇評により、ふじのくに⇄せかい演劇祭2018劇評コンクール最優秀賞受賞。

高杉と往く「財産没収」2018 稽古の旅①

 財産没収の稽古がすっかり始まっている。再々演ということは三度目のお披露目となるのだからすんなり進行するのかと思えばそうでもなく、やはり産みの苦しみに直面している。作品を創るというのはつまりそういうことなのだ。

 三年前、初めてこの作品に取り組んだときは本当に往生した。ひと月半、期間は短いけれど、毎日朝から晩まで稽古場に缶詰状態で「あーでもない、こーでもない」と知恵も身体もひねり続けた。上手くいっていると思っても辻褄が合わなくなったり、気がつけば何を目指していたのか分からなくなり迷宮を彷徨い歩く日々。そんな苦労の甲斐あって、それなりの手応えを持って利賀演劇人コンクール2015に参加し、優秀演出家賞一席をいただいた。と、そこまでは良かったが、2017年夏、せっかくそれなりの評価をいただいた作品なのだから関西でも上演し、地元のお客さんに観ていただこうと再演プロジェクトが始動し、稽古が始まってみると、それはもう何をどうしたらいいのかてんで分からないことになっていた。動画を見て、その通りにやってみるのだけど、なぜ自分がそんなことをしているのか? さっぱり分からない。形だけはなぞれるのだけれど、演技の根拠もそこにいる意味も感情も概ね思い出せない。何度かやれば湧き上がってくるだろうと試みるも、やれどもやれども模倣しているだけの私がいる。中身なんて何もない、形骸化した「死に体」だけがそこにある。

 その原因と思われるのは、「圧倒的な情報量」。本来演劇は「言葉の意味」を伝えることに終始しない。言葉とは反対の心持ちでいるかもしれないし、そう言わざるを得ない状況こそが大切かもしれない。同じ意味でも発話の仕方によって人格や関係性が見えてくる。そんなことが、この豊富な情報こそが演劇の面白さであることに疑いの余地は(あまり)ない。そこへきてこのサファリ版「財産没収」は情報を限定しない豊かさに溢れている。ポエティックと言ってもいい。その女は郡の調査官かと思えばウィリーの姉「アルヴァ」であり、ともすれば作者テネシーの姉「ローズ」でもある。はたまた「姉」という概念そのものとしてフラフラ歩いているようにも見える。その様はギリシャ喜劇をも彷彿とさせる。テネシーだと認められるその男は、時には作中の登場人物ウィリーであり、芸術・創作に苦しんでいるかと思えば、社会との軋轢に苛まれ、姉を憂いたかと思えば、今度は恋人との関係(ジェンダーも含め)に怪気炎を吐く。テネシーの恋人と思しきその男は、ある時は作中の登場人物トムであり、またある時はテネシーに立ちはだかる「社会」そのものであり、創作に手を差し伸べたかと思えば、痴情の果てにテネシーをぶん殴る。人にしたってそんな塩梅なのだけど、そこへきてモノまで加わってくる。テネシーが「財産没収」を記している赤いノートは、作中の赤い凧であり、赤い絹のチョコレートの箱であり、芸術・創作の苦しみ・喜びの権化である。「腐ったバナナってなんだ?」「プレストン先生って誰だよ!?」と、もう触り始めたらキリがない。それらが時に姿・意味を変え、時に重複して、舞台上に降り積もっていく。演出も俳優もそれらのおびただしい情報を精査して、場面ごとにいるものいらないものを峻別していく。当然綺麗に整頓はできないので、その情報の湯船にどっぷり浸かっている感じ。やるたびにイメージが変わる。やっている人間からしてそうなのだから、観ている人は尚更だろう。そんな「概念」と「存在」の「ゆらぎ」「不確かさ」「重複」を出来るだけシンプルに料理する。焼き魚は塩で喰らうのが一番うまい。まあ・・・これは個人的嗜好だ。

 そして今回、やはり同じ現象を楽しんでいる。前回同様に立ち上げてみて、それが形骸化していようがひとまず立ち上げて、不具合も新たな可能性もみんなひとまとめに探っていく。出演者は3人中2人が代わった。そりゃ苦労だってひとしおだ。だけど稽古を重ねるほどに、言葉を紡ぐうちに、パフォーマーの立ち方も変わってくる。作品の密度も詰まってゆく。字義通り「無限の可能性」を感じる。嗚呼、私はこんなことが楽しくて演劇に邁進しているんだった。そんなことを思い出させてくれるこの作品。再演すればするほどに、面白く、分かりやすく、刺激的になっている。掘る作業は苦しいけれど、掘れば掘るだけ水が湧く。作中で、創作に苦しみ、創作に歓喜するテネシー・ウィリアムズの姿は、まさに稽古場で苦悩し、悦んでいる私たち自身の姿なのだ。

サファリ・P 第4回公演「財産没収」チケット発売開始!

サファリ・P旗揚げのキッカケとなった作品「財産没収」。
初演は2015年7月、利賀山房(富山)にて上演。利賀演劇人コンクール2015に参加し、優秀演出家賞一席を受賞しました。
再演は2017年7月、アトリエ劇研(京都)にて上演。利賀で審査員の方々からいただいた課題に取り組み、大幅に改定しました。より深く、より面白く、より分かりやすくなったと自負しております。
そして今回の再再演。開催都市は愛媛・沖縄・東京・京都(試演会)。レパートリー作品として、たくさんの地域の方に観ていただけるのを楽しみにしています。キャストも高杉征司・達矢・佐々木ヤス子という面々で、装いも新たにお届けします。

本日10月1日、いよいよチケット発売開始です!
みなさまのご来場を心よりお待ち申し上げます!

公演詳細・ご予約はこちら

リピート割引のお知らせ【財産没収】

多くのお客様に、もう一度見たい、とおっしゃっていただきましたので、急遽、リピート割引を設定いたしました。

8月20日(日)11:00、15:00

どちらの回も、二回目の観劇のお客様は1500円でご覧頂けます。(u25は変わらず1000円です)

予約は不要。受付にて「リピート割引希望」の旨と「お名前、1度目の観劇日時」をおしらせくださいませ。皆様のご来場をここよりお待ち申し上げております!

財産没収2017.08.12.13

さて、今日は14日。劇場入りしております。今日は12日と13日の稽古を記録しておきます。両日ともサファリのメンバー、達矢さんが、13日は音響のキョロちゃんが来てくれました。

まとめて書いてしまいますが、この2日間で、改めて、大きく、この芝居ってなんなのか、考えることになりました。高杉氏の提案です。私は逆に、小さな細い修正点が思った以上に出てきて、これはどうしたものか、と思っていました。

話しながら、まっちゃんという存在が、曖昧だったことに気がつきます。高杉氏はテネシー、えみちゃんはテネシーの姉。いずれも誰であるのかはっきりしていました。しかし、まっちゃんだけは「恋人」という非常に曖昧な存在。いわゆる象徴的な存在だったのです。

だから、どうしたって対象でしかなく、主体的なセリフや動きが出てこないのです。まっちゃん自身はもちろん人間ですから、彼が彼なりに通す筋というものはあるのですが、この芝居の中で、彼を捉えられていないことに気がつきます。

でも、「恋人」と言っても、具体的に誰かわかるものだろうか。欲望という名の電車のミッチやスタンリー。ガラスの動物園のジム。あるいはテネシーのリアルな恋人。でもどれも、この作品にとってはメタファーでしかなく、名も無き存在です。

メタファー。

もしかしたら、この男は、テネシーの、社会性の部分なのではないか。と思いつきます。高杉氏演じるテネシーがアーティストの部分だとしたら、まっちゃん演じるテネシーは、それを制御しようとする部分。堕ちていく彼を必死で引き戻そうとする役。

そうやって整理したところ、まっちゃんが、言いやすくなったセリフがいくつか出てきたそうです。高杉氏も「セックス」は「自分を一本化しようとする動き。お互いの部分を受け入れようとする動き」なんだなと言います。えみちゃんとまっちゃんが出会うのはやはり、姉と弟としてなのです。

そうやって3人が3人とも、ハッキリとして姓名を持つ個人であることがわかり、また一つ、この作品の筋が通りました。

それから、いくつかまだ残っていた「なんとなくセリフを割り振った部分」を正しく振り分けたり、新たに加わったダンスの部分のきっかけを合わせたりしました。

いよいよ小屋入りです。稽古場の解体を、サファリの達矢さんが手伝ってくれました。

 

財産没収稽古2017.08.11

この日も通し動画を見ての稽古です。舞台監督の浜村さんと照明の池辺さん、お二人の子供、かよこが稽古場に来てくれました。稽古場には、下野くんがすでに買ってくれていた「ランタン」が届いていました。この「ランタン」を持って、恵美ちゃんはお散歩するのですが、これ、もともと下野くんの持ち物で、アンティークな顔をしたまさにランタンでやってたのですが、夏目氏のアイディアででかい電球になりました。一気にその部分だけ「近未来感」が出てきます。実際に電気をつけ、歩いてもらうと、メタファー的なものは満載だと思っていたんだけど、LEDでとても冷たい明るさが目立ち、相殺されて落ち着きました。

「メタファー」というのがいかに取扱注意なものか、今回学びました。いろんなところでそれが顔を出して、面白いです。

さて、通しを見た演者からは、ダンスのシーン、目線の問題などが挙げられます。一つ一つ解決をして、通しを。

この中で一番の変更は、松本氏と恵美ちゃんの出会いの場所についてです。もともとは真ん中の一番良いところで出会っていた二人。悪くないのですが、そのために歩くスピードを調整してもらったり、センターといういわゆる王道のポジションを疑わずに採用していることに、はたと気がつきます。やはり選択は「悪くない」ではなく「それ以外ない」で選びたいもの。

歩くスピードに無理がなく、照明的にもエッジを立てやすそうな、右手の一番奥のあたりで出会ってもらうことにしました。実際やってみると、高杉氏がお酒を飲んでいるのがセンターなので、とてもかっこいい配置になりました。

写真はまだパソコンに届かないので、また今度アップします。お盆なので、もともと関西で現在は別の地在住の方は是非、里帰りついでに観劇していただきたいものです。劇研、もう閉まりますので。

財産没収2017.0808

この日の課題は4つありました。どれも、シーンとして少し気になる箇所です。それが、一つ解決すると他も解決する、という状況になってきました。さらに、今日は解決をつけるつもりがなかったところ、つまりラストシーンまで改善されました。

ラストは再び恵美ちゃんが、「外」をぐるぐる回るという終わり方をしたいと私は思っていました、しかし先日照明の池辺さんにそれがわからない、と言われたところ。そこはそのままに、

恵美ちゃんが「じゃあ、帰るわ」というセリフの扱いについて問題提起をしてくれたので、それを解決しようとした結果、私が挙げたパターンの中で、高杉氏が支持したのが、恵美ちゃんは外をぐるぐる回らない、という終わり方でした。

実際に通しでやってみると、それがとても、しっくりきました。オープニングとの相性が良いというのでしょうか。筋がすっきり通る必要はないのですが、まさに、相性が良いという感じでした。

この日は衣装の詩恵ちゃんが来てくれたので、それを着て稽古と通しをしました。見栄えは良いので、あとは動きに合わせて少しずつマイナーチェンジをしてもらいます。また、当初イメージしていたものと少し違うシルエットのものは改善されることになりました。

財産没収稽古2017.08.06

5日の稽古で、恵美ちゃんのセリフと動きが飛躍的に良くなっていたことに驚き、その日の通しで、高杉氏の俳優としての力量をまざまざと見せつけられ、6日の通しで、まっちゃんがそれに食らいつく様子を見ることができました。

こんなに、こんなに、それぞれが自立して、自分のペースで役を育てていく、自分を訓練していく、準備を怠らないメンバーと、芝居を創ることができる私は、すごいです。

さて、この日は、ほぼ作品の骨格と肉付けが終了したということで、細かく気になる点を洗っていくことになりました。椅子の数、トルソーの位置が変化したことによる立ち位置の問題、それからいくつか、小さなセリフと設定の齟齬。しかしそれも、ラストのダンスのところの曲の掛け方とダンスの内容を吟味し、口頭で幾つか演者同士で打ち合わせをしてもらって、通しをしたら、ほぼ、消えていました。

局部的な問題というのは実は少なく、すべてが影響し合っているものです。どこかがよくなると他もよくなってきます。そうやってすべてが少しずつ、よくなっていきます。反対に、問題の箇所を放置しておくと、全体的にもいつまでもよくならない。過去を振り返るとそれがわかります。

通しを、照明の池辺さんに観てもらいました。内と外、について、解釈しにくいとのこと。私の中でこの「内と外」は非常に整理されているのですが、改めてこの質問で、言葉にする機会をもらいました。

池辺さんが帰った後、改めて演者の方から、幾つかきになる点をピックアップしてもらいます。これらも、いずれも小さなことばかりなので、次の稽古で当たりましょう、ということになりました。ここからは演者たちがそれぞれの動きやセリフの制度を上げていく時間です。

俄然、本番が楽しみになってきました。

写真はいつかの稽古。