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『怪人二十面相』創作・思考プロセス#1

○『怪人二十面相』、そして江戸川乱歩について

 江戸川乱歩の『怪人二十面相』と聞いて何を思い浮かべるだろうか。サファリ・Pで『怪人二十面相』をやると聞いたときの私は、乱歩の短編集は読んだことがあり、この作品もタイトルは知っているけれども、具体的にどういう話なのかはよくわからないという状態だった。二十面相という怪盗が名探偵の明智と勝負するというぼんやりとしたイメージだけがある。筆者もタイトルも知っているけれども実際どういう話か知らないというのは、古典にはよくあることかもしれない。例えば、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』やドストエフスキーの『罪と罰』等々。乱歩の受容は世代によってかなり違うようで、サファリの山口さんや高杉さんは昔読んでワクワクした記憶がはっきり残っていると言っていた。位置付けとしては、二十代後半の私世代が小学校時代に読んだ『かいけつゾロリ』や『ズッコケ三人組』シリーズに近いのだろうか。ただ、乱歩は児童文学者ではないという点が違う。彼は元々大人向けの小説の書き手だった。

 

『怪人二十面相』が書かれた経緯を確認してみよう。光文社『江戸川乱歩全集 第28巻 探偵小説四十年(上)』によると、少年倶楽部の編集者から熱烈な依頼があり、依頼自体は前々からもあったことだしなんとなく、という流れだったようだ。題材がなくなって行き詰まるという点では、以前サファリが『財産没収』で取り組んだ作家、テネシー・ウィリアムズに似ているともいえる。テネシーは作家としての成功を収めた後も書き続けたが、同じモチーフの戯曲ばかり書いてマンネリに陥っていると批判され、アルコールと薬物に溺れた悲惨な後半生を送った。探偵小説作家にとって、トリックがマンネリになってしまうのが致命的なのは明らかだ。乱歩の題材が尽きるサイクルはテネシーよりもっと早かった。彼は数年単位ですぐに行き詰っては放浪し、執筆を再開することを繰り返した。推理小説のトリックのネタがなくなると幻想・怪奇小説へ、幻想・怪奇小説の題材が尽きると少年向け小説へと乱歩の執筆ジャンルは変わっていった。乱歩自身、以下のように述懐している。

 

「私はなんでも初めよし後悪し、竜頭蛇尾の性格で、昔やった職業でも、入社そうそうは大いに好評を博するのだが、慣れるにしたがって、駄目になってしまう。飽き性というのであろう。小説でも同じことで、大した苦労もせず、処女作が好評を博して、初期は甚だ好調であったが、すぐに行きつまり、その転換に、やけくそで大部数発行の娯楽雑誌に書いてみると、これがまた大当り、しかしそれも結局は竜頭蛇尾で、このころは大人ものがそれほどでなくなっていたので、又々転換という心境であったかもしれない。ところが、この少年ものの第一作がまた、例によって非常な好評を博したのである」

 

〇演出家の思考

ちなみに、演目が『怪人二十面相』になった理由は、演出の山口さんの勘だった。他にも色々と案は出ていたので、これに決まった時は正直かなり意外だった。今までの作品とはかなりテクストの性質が違うように思えたからだ。これまでのテクストは、『財産没収』にしろ『悪童日記』にしろ書き手の生い立ちを反映したもので、恐ろしいまでの情念が込められていた。それに比べて『怪人二十面相』はいかにも軽いように思える。今回始めて読んでみて、わかりやすい悪党と正義の味方という区分、現実には不可能としか思えない子供騙しなトリックのオンパレードにいちいち心の中でつっこんでしまった。

 

4月始めに、演出の山口さんから考えていることを聞いた。『怪人二十面相』から出てくる言葉は、「わくわくする」「見てみたい」ではなく、「虚をつかれる」「はっとする」だという。この作品では時代と社会の空気が犯人を作り、オウム真理教の事件がそうであったように、周りの忖度の結果、首謀者の望み以上のことになってしまうという感覚がある。その意味で『怪人二十面相』にあるモチーフは、金持ちをやっつけたいというものだ。この小説は表面的には単純な勧善懲悪の話に見えるが、江戸川乱歩の他の小説は勧善懲悪ではない。この小説では「子ども向け」という立ち位置的にそう見せかけているに過ぎない。

 

「怪人二十面相」は大衆の結託によってできる実体がない存在だ。本部のない組織はないので、無理はあるが、「怪人二十面相」は大衆の欲望の具現化として、その都度その都度金持ちを連携して懲らしめる。1930年代当時の日本は金融恐慌のただなかで、金持ちと庶民の格差が大きかった。それを鮮やかに飛び越える痛快さがこの作品にはある。ただ、ふつうに読めば読者は二十面相には肩入れせず、明智に感情移入する。大衆が迎合するものを持っている一方で、二十面相はジタバタする。明智を立てるために、彼のやることは思い通りにはいかない。技を掛け合うが、ちょっと明智が上という感じになってしまう。もしかすると、明智のほうが二十面相より面白いかもしれない。明智は二十面相よりずっとクールな感じで、みんなの憧れのヒーローだ。変装したり潜入したり、技は二十面相と同じだが、ジタバタはしない。また、小林少年は、明智と奥さんの家に住んでいるが、実際のところ子どもではない。彼は小型の明智で、読み手の子供が感情移入するために存在している。しかし、閉じ込められて「ひとねむり」するように、常人ではない。さて、この小説、どうすれば面白い舞台にできるのだろうか。

 

〇死と欲望という通底音

今までのテクストと違う、と書いたが、『怪人二十面相』単体にこだわらず、江戸川乱歩がどういう書き手であったのかに注目すると、サファリのこれまでの作品との連関が透けて見えてくる。サファリの作品に共通するモチーフを考えてみよう。まずもってそれは死と欲望だ。より具体的に言えば、迫りくる死への恐怖とそれに拮抗する力としての性欲である。『財産没収』と『悪童日記』どちらのテクストにも、登場人物たちを取り巻く死と、愛にも暴力にもなりうる混沌としたエネルギーが潜んでいる。私は、この死と欲望がサファリの上演のモチーフになっていると考えている。『財産没収』のウィリーは、姉の死に憑りつかれ、妄想の中で姉と一体化して亡霊のようにさまよう。『悪童日記』の双子は自分たちを押しつぶそうとする戦争の死と暴力に抗って、愛されたいという心を引きちぎって無関心を自分たちに強要し、身体を傷つけて痛みに無感覚になろうとする。

 

大多数の探偵小説は殺人事件を扱う。その点で死と欲望というテーマが常にそこにある文学ジャンルだと言える。しかし『怪人二十面相』は子ども向けなので、「二十面相は血を見るのが嫌い」という設定になっており、殺人は起こらない。ところで、探偵小説とは、どういう小説なのだろうか。それは、秘密を作り、暴く物語のことだ。小此木啓吾『秘密の心理』によれば、サディズムとは秘密を暴こうとする欲望であり、マゾヒズムとは、秘密を暴かれたいという欲望である。山口さんによれば、乱歩のテーマはSMで、人に見られてはいけないものを覗き見する興奮だという。彼女は乱歩の小説に見られたいのに見られたくないという欲望があるとも語っていたが、これは言い換えれば、この完璧なトリックを見せたい、だが見せると悪事が露見し、捕まってしまうという犯罪者の葛藤でもある。探偵小説はその歪な欲望を合法的に見せられるシステムだ。心の中に燻っている暴力や性欲といった混沌としたエネルギーを「文学」というオブラートに包んで吐き出すための発明とも言える。

 

〇自己療養する子どもたち

主要な登場人物が子どもであるという点も、これまでのサファリの作品に共通している。なぜ子どもなのか。それは、作者が自己形成を演じなおすために書かれたテクストだからだ。人間は子どものときに接した他者からできている。テネシー・ウィリアムズの『財産没収』の姉妹の関係、そしてウィリーとトムの関係は、明らかにテネシーの実際の姉ローズと彼自身との関係を反映している。アゴタ・クリストフは自伝『文盲』で、兄と過ごした戦時中の子ども時代の思い出の断片から『悪童日記』を書いたと記している。

 

人間を形作る他者は人間に限らない。乱歩の場合、それは小学生の時に読んだ黒岩涙香の翻案ものの怪奇探偵小説『幽霊塔』や、菊池幽芳の探偵小説『秘中の秘』だった。『財産没収』も『悪童日記』も『怪人二十面相』も、自分は何者なのかを書き手が問い、そういう自分がどう形成されたのかをたどるために子供時代に戻り、それを演じなおすために書かれているのではないだろうか。『江戸川乱歩全集 第30巻 わが夢と真実』所収の「わが青春記」と題したエッセイに乱歩はこう書いている。

 

「すべての物の考え方がだれとも一致しなかった。しかし、孤独に徹する勇気もなく、犯罪者にもなれず、自殺するほどの強い情熱もなく、結局、偽善的(仮面的)に世間と交わって行くほかはなかった。(中略)しかし、今もって私のほんとうの心持でないもので生活している事に変りはない。小説にさえも私はほんとうのことを(意識的には)ほとんど書いていない。」

 

「際立った青春期を持たなかったと同時に、私は際立って大人にもならなかった。間もなく還暦というこの年になっても、精神的には未成熟な子供のような所がある。振り返って見ると、私はいつも子供であったし、今も子供である。もし大人らしい所があるとすれば、すべて社会生活を生きて行くための「仮面」と「つけやきば」にすぎない。」

 

これらの文章を読むと、小説を書くという行為は、乱歩にとっては自分の「物の考え方」を反映した「仮面」を作ることだったように思えてくる。

 

また、「忘れられない文章」という以下のようなエッセイもある。「青年時代から現在までも、最も深く感銘しているのはエドガー・アラン・ポーの次の言葉である。「この世の現実は、私には幻――単なる幻としか感じられない。これに反して、夢の世界の怪しい想念は、私の生命の糧であるばかりか、今や私にとっての全実在そのものである」近ごろの作家ではイギリスのウォーター・デ・ラ・メイアの次の言葉が、これを継承している。「わが望みはいわゆるリアリズムの世界から逸脱するにある。空想的経験こそは現実の経験に比して、さらに一層リアルである」私は色紙や短冊に何か書けといわれると、これらの言葉をもっと短くして「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」と書きつけることにしている。」

 

 ほかの誰とも違う存在、現実世界にいられない人間は、それでも生きていくためにそれぞれのわざを使って自分のための世界を作る。そういう人間のことを芸術家と私は呼びたい。「芸」「術」という言葉はふたつとも「わざ」という意味だ。そして「芸」には「植える」、「種をまく」という意味もある。自分が生きるためのわざが、他者の体や心に何かを植える、そこに芸術の喜びがある。

 

山口さんが敬愛する村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』に、「書くことは常に自己療養の試みに過ぎない」という言葉がある。探偵小説や怪奇小説を書くことは、乱歩にとって自分の欲望に向き合うための「自己療養の試み」だったのだろう。サファリで扱われる作家たち、そして山口茜という劇作家は、みな「自己療養」のため、他者に理解されない孤独の中で気が狂ってしまわないように、生きるための切実な方法として書いている。彼・彼女らはそこで生きていくための巣を言葉で編む。そしてその自己療養のありようを最もまざまざと見て取ることができる、乱歩の作家としてのキャリアの結節点である小説『陰獣』が、今サファリの『怪人二十面相』創作において大きな位置を占めはじめた。この小説には、秘密を作り、暴くこと、死と性欲、そして作家乱歩その人の姿がはっきりと書き込まれている。子どもとしての面が強い乱歩が現れている『怪人二十面相』と、大人としての面が強い乱歩が現れている『陰獣』を突き合わせ、どう接合するのかが今の稽古場の課題である。それは、乱歩の小説に通底する「秘密を作りたい、そしてそれを暴き暴かれたい」という欲望にどう向き合うのかということでもある。

 

今回は導入として『怪人二十面相』をめぐる書き手と読み手について概観したが、次回以降は、『陰獣』を紹介しながら稽古場で起きたこととそれに伴う思考プロセスを詳述していく。

サファリ・P 第6回公演『怪人二十面相』チケット発売開始!

 サファリ・P 2年振りの新作『怪人二十面相』のチケットが2019年5月22日、ついに発売となりました!

 その本当の顔は誰も知らない大盗賊「怪人二十面相」。予告状を送りつけ、厳重な警備をかいくぐり颯爽とお目当ての品を盗み出すそのやり口は、大胆不敵にして快刀乱麻! それはそれは痛快なのですが、「誰もその本当の顔を知らない」ということは、彼が彼であることを証明できないのであって、捕まえても捕まえても「あっしみたいな者があの二十面相だとでもお思いで?」と、いつだって別人なのです。無敵なのです。
 無敵の代償は圧倒的な孤独なのではないか? といらぬ心配をしてしまうのですが、そんな凡人の憶測などゆうに飛び越えて、巨人の肩の上から遥か遠くを見晴るかす。
 作曲家の増田真結氏を迎え、「光と音」、「身体と音」で織り成す、全く新しい『怪人二十面相』にご期待ください!

◉こちらは今年4月からの本稽古に先駆けて行われたプレ稽古の様子をまとめた動画です。
 本番までのつなぎにお楽しみください。
2018年5月11〜17日@森下スタジオ

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佐々木ヤス子 サファリ・P入団のお知らせ


撮影:清水俊洋

 サファリ・P 第4回公演『財産没収(再々演)』、第5回公演『悪童日記(再演)』に出演した佐々木ヤス子さんがサファリ・Pに入団することとなりました。6月の『悪童日記』コソボ公演、8月の第6回公演『怪人二十面相』、10月の『悪童日記』瀬戸内国際芸術祭2019参加など今後のサファリ作品への出演も軒並み決まっていたのですが、いざ入団となると我々劇団員も感慨深いものがあります。技術もやる気も負けん気も人一倍の彼女の活躍にご期待くださいませ。


◉佐々木ヤス子コメント

 私にとってサファリ・Pは、夢を語れる勇猛さと、それを実現させるための堅実さ、(そして筋力トレーニングへのストイックさ)を併せ持つ劇団であり、強く心惹かれ、この度入団をお願いしました。
 今後はサファリ・Pの一員として、いつかサファリ・Pが世界の演劇シーンを牽引していけるような劇団になるために頑張って参ります。(そして理想の筋肉を手に入れてみせます。)
 どうぞ宜しくお願い致します。

『悪童日記』コソボ公演【クラウドファンディング】が始まりました!

 サファリP 第5回公演では、2017年に初演し好評を得たアゴタ・クリストフ作『悪童日記』を2019年2月~3月に大阪・八尾、横浜、京都にて再演しました。この一連のツアーは各界から身に余る評価を頂いたのですが、国内での評判にとどまらず、この作品が縁でコソボ共和国プリシュティナで開催されるアートフェスティバル第7回FEMARTフェスティバルから参加招待を受けることとなりました。

 私たちは、今まであまりなじみのなかったコソボという国について調べ、大使館の方のお話なども伺い、先方の担当者とも何度もやり取りを重ねてきました。そしてアゴタ・クリストフ自身が体験し、この作品で描かれている分断のモチーフとなったハンガリー紛争のすぐそばの国、そしてほんの10数年前に国が分断されて独立して生まれた新しい国で、この演目を上演できるというチャンスに運命的なつながりを感じました。
 先方の熱い思いと、日本の様々な方の支援を受けて、サファリ・Pはフェスティバルの参加を決めました。まだ設立されて間もない若い国の勢いが、サファリ・Pのそれと似通っていました。これを逃せば、今後コソボの方と関わることはないでしょう。私たちはこの機会を逃すわけにはいきません。

 しかし演劇を上演するには、たくさんのお金が必要です。フェスティバル側は、非常に魅力的な条件を提示してくださっていますが、コソボとの物価の違い(コソボ共和国の平均月収は3万円程度)もあり、必要な経費をまかなうことは出来ません。すべて自腹でまかなうことになってもいい、という覚悟ではいるものの、コソボ共和国という国との付き合いを、1回きりのことで終わらせたくありません。今回のご縁が無ければ、日本人の劇団がコソボという国で公演を行うということは当分無いかもしれません。今回つながった細い糸を、これから先も持続可能な交流へと広げていきたいと考えています。

 サファリ・Pというカンパニーが、外国でのフェスティバルへの参加や、国内外での外国人アーティストとの共同創作等を行いながら、息長く活動を続けていくためには、必要経費を何らかの形でまかなう必要があると考えました。私たちは現在各種助成金の申請など自己資金の確保に奔走しています。その結果左右されること無く、今回のプロジェクトを成功させたいと考え、この様な形で広く支援を募ることとなりました。もちろん助成金や自己資金の獲得状況によって、目標金額の設定を変更することを予定しています。

 私たちは、このフェスティバルに参加することで、今後観客の皆さんに多くを還元することができると確信しています。ぜひ、ご支援をよろしくお願いします。


◉ご支援いただける方はこちらよりお願いいたします。
(各界からの応援メッセージや我々の想いが掲載してあります。それをお読みいただくだけでも嬉しいです)

 

サファリ・P『怪人二十面相』演出助手・制作助手を募集します

 この度、合同会社stampでは、サファリ・P『怪人二十面相』の稽古場のレポートや制作補助、企画制作会議への出席を通じて、演劇製作に関わっていくことに興味がある方を若干名募集します。演劇公演の制作・広報に関する企画立案と実施を積極的に行っていただける方につきましては、助手ではなく制作者として継続的にstampの活動に参加していただきたいと考えています。
 
 これまであまり演劇とかかわりがなかったけれども、芸術に携わる機会がほしいという学生、社会人の方を歓迎いたします。学業やお仕事の傍らの参加でも結構ですので、少しでも興味を持たれた方はぜひご応募ください。
 
 演劇と社会をつなげること、ひろげることに意欲的な方のご応募を期待しています。
 
 ご応募につきましては、下記の「○応募条件」「○仕事内容・条件」をご確認いただき、「○応募書類要項」の7点を記載したワードファイル等を添付したEメールで下記アドレスまでご連絡ください。また、何かご不明な点がございましたら、下記アドレスまでお気軽にお問い合わせください。
 
 
応募先アドレス
 
 
 
締め切りは3月31日(日)です。ご応募いただいた全ての方と4月上旬に30分程度の面談を行う予定ですが、応募者多数の場合は書類で選考する場合があります。ご了承ください。
 
○応募条件
 
・京都市在住、あるいは京都市内に通える方
 
・20歳以上30歳くらいまで
 
・サファリ・Pやトリコ・Aの舞台作品を観たことがある人
 
・基本的なPCスキルがあること
 
(ワード、エクセル、パワーポイント等で文書作成ができること)
 
・演劇の観客を増やすことに興味があること
 
 
 
○仕事内容・条件

 
*2019年4月から8月まで月数回、制作作業やミーティングに参加。報酬:50,000円
 
*サファリ・P『怪人二十面相』ツアー(7,8月東京、京都)での劇場付き 日給5000円(参加可能日は応相談)
 
*遠距離の交通費は当社で負担します。
 
*近距離の交通費は自己負担となります。

○応募書類要項(書式自由)

 
①氏名
 
②年齢
 
③住所
 
④メールアドレス
 
⑤電話番号
 
⑥観たことがあるトリコ・Aもしくはサファリ・Pの作品と、作品を観て感じたこと、考えたこと
 
(観たことがある作品名を除いて400字以上、上限なし)
 
⑦今後、合同会社stampでの活動を通じて、演劇にどのように関わっていきたいか
 
(400字以上、上限なし)

 
みなさまのご応募を心待ちにしております。
 
 
合同会社stamp

『悪童日記』の躍動日記③

 『悪童日記』ツアー2018が終わりました。
 八尾に始まり、横浜を経て、最後は地元・京都に錦を飾る、足掛け三週間の長い旅でした。大きな事故や怪我もなく、無事に終えることができたことに感謝です。そしてお世話になった劇場の方々、お越しいただいたお客さん、ご協力いただいたたくさんの方々、いつも我々の要望に全力で応えてくれるスタッフの皆さん、そしてご来場は叶わなかったものの気に掛けて応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。


撮影:松本成弘 @京都府立文化芸術会館

 思えば私(高杉)は12月も1日から24日まで『財産没収』のツアーに出ていたのであって、ひと冬で三都市ツアー(『財産没収』は試演会を入れたら四都市!)を二本回すという荒技に出た。なぜこんな荒技を敢行したかというと、「再演だしイケるか!?」という軽いノリだったような気もするし、「これくらいの強度で進んでいくのだよ!」というある種の覚悟であったような気もするのだけれど、結局のところは何も思い出せない。始まってみれば、当然制作も創作も二本同時並行なので、相当バタバタした。大きな犬と一緒に白浜あたりに身を隠したいと思ったことも一度や二度ではない。
 サファリ・Pは稽古をたくさんすることでこの界隈ではちょっと有名なのだけれど、それは「再演」であっても変わりなく、『財産没収』も『悪童日記』も弾むように稽古した。稽古初日に初演の芝居を立ち上げてみるのだけれど、それは問題点・改善点を洗い出すためであって、初演を踏襲する気などサラサラない。お芝居っていうのはよく干したスルメみたいなもので、噛めば噛むほど味が出る。『財産没収』再演で何に取り組んだかはそっちの記事を読んでいただくとして、ここでは『悪童日記』に話を絞る。


撮影:松本成弘 @京都府立文化芸術会館

 まず問題は「プロセニアム」であること。
 これは本当に難題で、最後まで我々を苦しめ続けた。翻って、それはやり甲斐ということになるのだけれど、今は終わったからそんな悠長なことを言っていられるのであって、当時の私はずっとすい臓の裏辺りがヒリヒリしていた。
 今作に限って言えば、プロセニアムの問題は「サイズが大きい」ことではなく、「客席が舞台を見上げる」ことだった。もちろん大きいことも簡単ではなく、60席が420席になるのだから、そのサイズ感の演技・動きに変えていき、観客の遠さも意識して作り直さなければならない。しかしそれは「アジャスト」というレベルの修正なんだと思う。しかし「観客が舞台を見上げる」構造は如何ともし難い。初演の会場は「アトリエ劇研」「こまばアゴラ劇場」「シアターねこ」。いずれも客席はひな壇を組んで舞台を見下ろすスタイル。我々はそれを意識して舞台美術の平台ワークを考えた。十字架になったり、チクタクバンバンをしたり、道になったり、台の下に人が隠れると見えなかったり。平台の組み合わせや動きが上から見て楽しめる構造を作り上げたのだ。しかし、お客さんが舞台を見上げるとなると、初演で創ったビジュアルイメージがことごとく無力化されてしまう。これは本当に困った。もちろん舞台美術を0から考え直し、全ての段取りをつけ直す時間などない。それは新作一本創る労力が必要で、再演ツアーの時間配分では絶対に対応できない。是が非でも初演をアレンジすることで乗り切らねばならない。脾臓の裏の辺りがカサカサする。
 色々試してみて実践したのが、「台を立てる」「台の下の人を見せる」「台の天板の組み合わせの形を見せることがこの芝居の面白さの本質ではない、と自分達に強く言い聞かせる」、この3点だ。どれも非常に強力な作り直しの根拠になった。中でも三番目は冗談っぽく書いたのだけれど、意外とこれが一番効果があった。身体性や発話で世界を象っていくこと、物質や次元ということも含んだ「存在」への哲学的問いかけ、躍動感、スピード感、静止と静寂などがこの作品の面白さの本質であって、平台の組み合わさった形はその補助にすぎない。なので、芝居のダイナミズムをしっかり生の迫力で提示できれば、天板が見えないことなど恐るるに足らず、と考えたわけだ。とはいえ、蓋を開けてみるまでは不安でいっぱいだったのだけれど、2月10日、八尾プリズムホールのカーテンコール、万雷の拍手でお客さんに迎えられた時、「我々のやってきたことに間違いはなかった」と確信できた。

撮影:中筋捺喜 @八尾プリズム小ホール

 フィジカルが物を言う芝居なので、43歳の身体には幾分応えた。「大きな怪我もなく」と冒頭に書いたけれど、逆に言えば小さな怪我はたくさんあったわけで、佐々木ヤス子さんはギックリ腰と闘っていたし、私はふくらはぎがずっと肉離れを起こしていた。そしてこのワークをこなすには筋力もいるし、スタミナもいる。それらがないなら身につける(取り戻す)しかないのであって、できることしかやらなくなったら、そこで作品も表現者としても終わる。中筋さんの執筆してくれた稽古日誌にも出てきたけど、みんなでトレーニングに打ち込んだ。こんなの20代以来だ。
 プランク2分 → 腕上げジャンプ10分 → ゴキブリ体操3分 → 逆立ち1分 → 背筋キープ2分 → プランク2分。これを1分のインターバルで回し、最後は平台を積み重ねたオブジェを飛んで潜ってのアスレチック5周。トレーニング後は、パンパンに張ったダル重い筋肉、滴る汗、切れる息、そんな悦びを感じながら各自持参したプロテインをガブ飲みする。
 演出が悩み始めたり、休憩時間やちょっとした空き時間ができたら、みんな壁のないところで逆立ちを始める。腕立てをする。ローラーで腹筋を鍛える。高タンパクな食物を紹介し合う。「アーティスティックな作品ですね!」なんて形容されるが、内実は超変態筋肉劇団なのだ。一方で、その変態性にこの作品が支えられていることに疑いの余地はない。とにかくなんであれ「歳のせい」にはしたくない。筋肉は裏切らない。「50歳になってもこの作品やってたいな…」トラックでリノリウムを運びながら、独り言(ご)ちるように呟いた。助手席に座る達矢くんは微笑みながら頷いた。

文:高杉征司


撮影:松本成弘 @京都府立文化芸術会館

『悪童日記』の躍動日記②

 『悪童日記』国内ツアーもいよいよ最後の地、京都に来た(というより戻ってきた)。
 八尾、横浜と回を重ねた上演は、さらに進化していた。ぜひリピートしてほしい。

 小劇場という空間は面白い。観客と俳優の距離が近く、その分観客と作品の距離も近い。迫り来る熱量が、一般的なプロセニアムの劇場とは段違いだと思う。
 この『悪童日記』の上演もプロセニアムで、観客と俳優との物理的な距離は遠い。むしろ、遠くていい。できるだけ上演・作品を俯瞰して見ることで、かえって一見わかりにくい双子の輪郭がはっきりとしてくる。双子もまた、感覚を失い、まるで幽体離脱しているかのように自身らを俯瞰してゆく。よく言うことではあるが、客観視することで初めてわかることがある。私達も、双子に感情移入するのではなく俯瞰し、徹底的に客体になることで、見えてくるものがあるのではないだろうか。もちろん、俳優の身体が迫ってくるのは前の方の席だとは思うが、折角なので俯瞰してみていただきたい。

 さて。
 ここからは私の個人の感想になるのだが、この作品を初めて見た時に感じたことは、「乾いている」という感覚だ。
 『悪童日記』のテキストから引用したセリフの数々は、生々しいものが多い。生/性への欲望がはっきりと描かれる。言語化される。戦時下で、人はこうも欲望が剥き出しになるのかと、戦争はおろか震災もほとんど経験したことの無い私はそれだけで震え上がるほどに恐ろしく、そして異常なものへの気持ち悪さ、または憧れを感じる。元々性的なものが苦手だし、演劇的表現であっても性的なモチーフを見せられるのは苦手だったし、生死に関わることも出来るだけ見たくないと目を逸らしてしまいがちな人生を送ってきた私だが、このサファリ・P『悪童日記』を見た時には、全く目を逸らしたいと思うことはなかった。これはもしかすると、物理的な距離によるものかもしれないが、それ以上に演出の妙なのだろうなと感じる。出演者の方々は叙情的ではなく叙事的に、声と身体を使って文体を体現する。その声と身体で表現される双子は、明らかに生への欲望があるにもかかわらず、物語に重きを置くのではなく文体に重きを置くことで、双子の「乾き」を描き出しているのだと感じた。

 人はついつい物語を追ってしまう。「ドラマチック」だからだろうか。しかし、物語を追うのではなくその表現の徹底、表現の強度を追うことでこそ見えてくるものがあるのではないだろうかと感じる。

制作助手 中筋捺喜

『悪童日記』の躍動日記①

 今週末に控えた『悪童日記』。本日2月5日も朝から夕方まで稽古であった。制作助手の私(中筋捺喜)も稽古に参加している。
 再演とはいえ、キャストが違えば舞台も違う。前回は小劇場であったが、今回はプロセニアム舞台と場所も違う。本日もその違いに取り組み、ラストシーンを作り替えてゆく。

 演出家の山口さんがお昼から来られるということで、その課題を俳優の皆さんだけでまずは形にする。「こんなことをしたら面白いんじゃないか?」、その「こんなこと」を聞いた時、私は一瞬耳を疑ったが、それを実現させてしまうのがこの人たちなんだな…と改めて思った。余談ではあるが、キャストのほぼ全員がプロテイン飲料を愛飲している。前までは甘いおやつが置いてあったスペースにはたんぱく質メインの食料が置かれている。一週間ほど私は稽古場に行っていなかったのだが、その一週間のうちにまた皆さんの筋肉意識が上がっていたようだ。
 「こんなこと面白いんじゃないか?」というアイデアから、どんどん新しいアイデアが生まれて、じゃあ自分はこうしよう、それならこうする…と発展してゆくのを見るのはとても面白い。山口さんが来られるまでに一旦たたき台を作り、それを山口さんと共にソフィスティケートしてゆく。そのたたき台だけでも圧巻のものであったが、あと数日間の稽古でどんどん強固なものになってゆくだろう。

 客観性の獲得というのは難しい。自分が動いていることを真に外から覗くことは不可能だ。対して今回の『悪童日記』の原作は、双子が見たまま、聞いたまましか描かれない。彼らの心理すらもその文中には描かれない。そんな作品を舞台に上げる。観客は圧倒的な「客観」なのだが、不思議と舞台上の余白、それは人物の感情だったり性格だったりするのだが、そういうものを想像する。今回の『悪童日記』は事実しか述べられない。それ故、余白だらけである。その余白を埋めたり、あるいは埋めなかったりすることが、おそらく舞台を観ることの楽しみであるのかもしれないと、今回の通し稽古を見ていて感じた。是非、余白を楽しみに来てほしい。

制作助手 中筋捺喜

京都市民読書会とサファリ・Pの特別コラボ読書会『悪童日記』開催決定!

 東京に続いて、京都でも『悪童日記』読書会の開催が決定しました。京都市民読書会さんのご協力で実現しました。ありがとうございます。
 ゲストには『悪童日記』やカズオ・イシグロ「わたしを離さないで」の編集者でいらっしゃる早川書房の山口晶さんにお越しいただけることになりました。『悪童日記』八尾公演か京都公演のチケットがついたお得なイベントです。皆さんのご来場をお待ちしております。

以下、京都市民読書会さんからのご案内です。

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2017年にサファリ・Pが京都・東京・松山で上演した「悪童日記」の再演を記念して、特別読書会を京都・恵文社一乗寺店で開催します。

読書会には、クリストフ『悪童日記』やイシグロ『わたしを離さないで』の編集者・山口晶さん(早川書房)と、サファリ・Pの舞台「悪童日記」の演出・山口茜さんをゲストとしてお迎えします。読書会前に大阪・京都である舞台「悪童日記」の鑑賞チケット付きの読書会となっていますので、舞台と小説、二つの「悪童日記」を参加者の皆さんと共有することのできる場にしたいと思っています。
参加申込者が多数となることが予想されますので、お早めにお申し込みいただくようお願いします。(定員に達し次第受付を締め切らせていただきます。)
たくさんの方のご参加をお待ちしています!

【課題本】
アゴタ・クリストフ『悪童日記』 (堀茂樹訳/ハヤカワepi文庫)

【開催日時】
2019年3月1日(金)19:00~21:00(開場は18:30)

【場所】
京都・恵文社一乗寺店

【ゲスト】
山口晶氏 プロフィール◉2003年、株式会社早川書房入社。編集本部長。海外の小説・ノンフィクションを主に担当している。主な担当作品に、カズオ・ イシグロ『わたしを離さないで』、A・J・フィン『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』、デイヴィッド・ゴードン『二流小説家』、ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』、ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー(上・下)』

山口茜氏 プロフィール◉劇作家、演出家。1999年トリコ・Aプロデュースを立ち上げ、以後年に1回から2回のペースで、自身の劇作、演出である演劇作品を上演している。2003年第10回OMS戯曲賞大賞受賞、2007年若手演出家コンクール2006最優秀賞受賞、2007年から2009年までの2年間、文化庁新進芸術家海外留学制度研修員としてフィンランドに滞在。2012年文化庁芸術祭新人賞受賞。2013年龍谷奨励賞受賞。2015年利賀演劇人コンクール優秀演出家賞一席受賞。2015年よりアトリエ劇研アソシエイトアーティスト。2016年よりセゾン文化財団シニアフェロー。

【参加費】
4000円(参加費には、舞台『悪童日記』の鑑賞チケットと読書会の場所代等が含まれます。)

【鑑賞チケットについて】
ご都合の良い会場と日程を以下よりお選びいただけます。

〈大阪公演〉
2019年2月10日(日) 15:00開演
会場:八尾プリズム小ホール(八尾市文化会館)

〈京都公演〉
2019年2月28日(木) 19:30
    3月  1日(金) 13:00
会場:京都府立文化芸術会館 ホール

なお、通常チケットを購入される場合は下記の価格となっています。

前売 3000円
当日 3500円
ペア割 5000円

詳細は、サファリ・P「悪童日記」予約ページをご確認ください。https://ticket.corich.jp/apply/95959/

【当日の流れ】
当日は、ゲストの方を交えて課題本について感想を話し合い、その後に、ゲストの方のお話を伺います。質問の時間も出来る限り設けたいと思います。

【申し込み方法】
次の申込フォームよりお申し込みください。https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeCZy2Hdb-FkeN_PXvWup15SLYgQLo5xeOP3wkWK3QUeG3Hpw/viewform?usp=sf_link

【注意事項】
舞台の鑑賞と読書会への参加がセットの企画となっていますので、仮に読書会のみへの参加であっても料金は同一となります。

【主催】
サファリ・P + 京都市民読書会

『悪童日記』FEMART festival(コソボ共和国)参加決定!

 サファリ・Pの舞台作品『悪童日記』が遂に海を渡ります!

 コソボ共和国で開催されているFEMART festivalに招待していただいたのです。過去のフェス動画を拝見したのですが、あまりの熱狂に「これが本当にアートフェスなのか!?」と衝撃を受けました。パンクバンドのライブのような会場の熱気と観客とパフォーマーの一体感に鳥肌が立ちました。あの環境でやれることが楽しみでなりません。

 我々の『悪童日記』には、そのエネルギーに負けない力があると思います。海外公演を視野に入れ、「身体性」と「音としての声」を突き詰めた超感覚的作品なので、日本語が分からなくても楽しんでいただけるはず。2019年6月、コソボ共和国プリシュティナにて。待ってろ、Oda Theater!

 

FEMART festivalホームページ

FEMART festival


コソボ共和国に拠点を置くNGO、artpolisによる女性芸術家の芸術祭で、
コソボ共和国の首都プリシュティナにて開催。
女性芸術家によるバルカン半島における人権や社会問題に基づいた作品を提供することにより、コソボの女性たちが抱える問題を来場者たちに発信してきた。
200人を超えるあらゆる場所・ジャンル・経験の女性芸術家が参加予定。
過去の実施実績では、5000人以上の観客と100以上のメディアレポートがある。
市民社会組織が交流し、新たな芸術作品の創造へとつながっていくプラットフォームとしても機能している。